ヤマダイスキーの旅日記

アウトドア全般、海外移住、資格試験、ウェブ開発などの話をします

バイラマリー旅行記

5月25日、トルクメナバットからバイラマリーに移動していきます。

さすが砂漠、今日もよく晴れていますね。いい写真が撮れます。

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ちなみに車両は中国の「南東青島有限公司」みたいなところが受注していて、内装その他はすべて中国の寝台列車そのままでした。一帯一路ですね。ちなみに給湯器を中国人はカップラーメンに使っていたけど、ここでは紅茶に使っていました。

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定刻通り夕方の5時に出発して、8時半まで荒野をひたすら進みます。

 

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前日のうちに到着予定時刻を連絡できていなかったのでカウチサーフィンのホストの家に行くか安宿に行くかで迷いましたが、とりあえずホストの家に行くと「そんなところだと思ったよ、この国じゃネットが使えないからね」と快く泊めてくれることになりました。

 

家に荷物を置き、翌日のアシガバッドまでのチケットを買いに駅に戻ります。ラマダン中ということもあって夜でも人は歩いていますが、街灯がほとんどないのでだいぶ暗いです。

 

あと警察がうろうろパトロールしていて、ホストには「警察が近づいてきたら俺とは他人のふりをしてくれ。いろいろ質問されて大変だから」と言われました。中央アジアでは警察が野犬と同じくらいに厄介です。

 

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ちなみ泊めてもらった部屋がこちら。リフォームの真っ最中ですが、ゆくゆくはホストと奥さんのスイートルームになるそうです。そんなところに客を泊めていいのか?とも思いましたが、すでに何人も泊まっているようです。

 

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翌日ホストは仕事のためアシガバッドに戻らないといけないらしくて、1人で散歩していきます。とはいえ気温は35℃以上で、さらに直射日光で体感温度はさらに高く、何時間も歩き回る気にはなりません。そもそも観光名所なんて分からないし。

 

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独裁国家はナゾの塔を建てがち。

 

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お決まりのバザール。砂漠とはいえ農産物の豊富さでいうと他の中央アジア諸国と同じくらいですね。オイルマネーで輸入しているものもあるんでしょう。

 

具体的にはトマト、ピーマン、ナス、唐辛子、ニンジン、タマネギ、ジャガイモ、ズッキーニ、キャベツ、リンゴ、ブドウ、スイカ、レモン、デーツ、サクランボ、ナッツ類、イチゴ、アンズ、ベリー各種、そのほかお茶の葉っぱや砂糖などの調味料も売っていました。あと意外ですがパンや小麦粉やパスタに加えてコメもずいぶん売られていました。

 

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駅前にあったロシア正教の教会。この国ではイスラム教とロシア正教が共存しているらしく、ラマダンもそんなに厳しくないようです。

 

レストランも少ないですが営業していました。

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店員さんにメニューを聞いたら、「サモサ」と「マントゥ」という中央アジアの定番料理を聞き取れたのでそれぞれ2つずつ注文しました。ここでは英語はもちろんロシア語もそこまで通じないようです。そりゃ外国人がいないから勉強する必要がないんでしょう。「メニュー」という単語はどの言語でもだいたい同じっぽいですね。

 

にしてもこのサモサがずいぶんと脂っこくて、もう噛んだら肉汁ではなく油がジュワ―と染み出す感じでした。暑いときはサッパリしたものが食べたいのだが。

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サモサをなんとか平らげたと思ったら、マントゥがなんか6個も出てきました。「2セット」っていうことなんですかね。。。これもだいぶ脂っこいです。

 

まぁなんとか食べきりました。値段は最初「90」って出されてびっくりしたけど、すぐに5で割って「18」になりました。18マナトはちょうど1ドルくらいです。両替したときにもマナトを5倍した額を見せてきたけど、なんなんですかね。

トルクメナバット旅行記

いったいトルクメナバットに何があんねんって話ですよね。

 

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 ごめんなさい、僕にもよく分かりません。トリップアドバイザーにも全然載っていませんでした。そもそもトルクメニスタン地獄の門以外の観光スポットがあるんでしょうか。いや、地獄の門行ってませんけど。

とりあえず散歩して「おっ」と思ったものを写真に撮っています。これは図書館のようですが、閉館したのか休館中なのか、人は誰もいませんでした。

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とりあえずあれですね。快晴ですね。白い建物がよく映えます。

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宿にチェックインしてから駅に行って翌日の切符を買うことにしました。

と、駅の近くで国旗を掲げて行進している大学生たちと遭遇。めっちゃ話しかけてきました。外国人なんて皆無ですからね。ってかこの街にはこんなに若者がいたんですね。

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どうやらトルクメナバットに1つしかない?大学の卒業セレモニーだということです。僕にはこういう強運があります。

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 ともあれ駅で列車の時刻と値段を確認してから散策を続行。トルクメナバット5pm発でバイラマリー11pm着、17マナトと言われました。200kmを1ドル足らずで移動できるなんて社会主義の公共料金は恐ろしいですね。

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ちなみに翌日改めて駅に出向くと、5pm発8:30pm着と言われました。よく分からないけど早いならオッケー。8:30ならまだギリギリ日没前でしょうか。

 

ちなみにマリーではなくバイラマリーに向かうのは、そこにカウチサーフィンのホストがいるからです。到着時間を伝えたいんだけど宿にWiFiがないのでどうしようもありません。カフェで野良WiFiを拾おうとするも微弱すぎて断念。

 

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トルクメナバットのバザールです。いちおう独裁国家なのでバザールとか経済状況が分かる現場での写真撮影はビミョーなんですが、警備員とかはいなかったので注意は受けませんでした。

(※首都アシガバッドではバザールに限らず写真を撮っていると注意されます。)

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 このバザールはだいぶ大きくてですね、建物の奥にも野外マーケットが広がっています。宝石とか時計とかも売っていたけど、どの程度本物なのかは不明。

 とりあえず物価は安いですね。ジュース1.5Lが3マナト、トマトケチャップ350gは15マナトでした。ちなみに両替はこのバザールの入口というか、バス停になっているところに闇両替のおばさんがいました。

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宿ですね。たぶんトルクメナバットで最安値です。

1970~80年代の宿ってどこもこんな感じだったんでしょうね。むしろ当時だったら最先端の宿とかに相当するんじゃないでしょうか。

浴槽付きの温水シャワー、ベッドは2つ、コンセント複数(停電はほとんどしません)、カギがちゃんと閉まります。が、WiFiはありません。蚊はいましたが南京虫やダニやゴキブリはいません。

 地図でいうとこの1泊42ドル(ドル限定)のホテルの奥に180マナト(10ドル弱)の宿があります。MapsMeによると名前はHotel Gurlusykらしいです。

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 ちょっとしたバルコニーがあってそこからの眺め。

ブハラからトルクメナバットまでの移動

2019年5月24日。ウズベキスタンのブハラを出発、ファラップ国境からトルクメニスタンに入国し、トルクメナバットに到着するまでの記録です。

 

トルクメニスタンは申請した入国予定日にきちんと入国しないといけません。下見がてら前日のうちにブハラのバスターミナルの近くに移動します。ちなみに泊まったのはDaryo Hostelです。ホステルと言いながら個室でした。

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ミニバスというかマルシュルートカですね。中央アジアではバスターミナルやタクシー乗り場がカオスになりがちで、怒鳴り合い掴み合いのケンカも珍しくはありません。ここは看板も出ていて素晴らしい。(※この写真は前日に撮影したものです)

 

ブハラから80kmほど南に「オロット」という街があるようで、とりあえずそこまでは7000スムか8000スムで行けるようです。現地通貨を使い切っていたので1ドル札で払ったんですが、1000スムのお釣りをくれました。(1ドルは8500スムくらい)

 

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朝の9:20にバスが出発して、オロットには10:40くらいに着いたでしょうか。なんでこんなところにこんな街があるの?という感じです。大昔のアメリカ西部にありそうなよく分からない田舎町みたい。ちょっと歩くともう砂漠というか荒野です。

 

ここから国境までさらに30kmほど。さすがに歩けないので移動手段を探します。ここのタクシーはちょっとしつこいのですが、たまたま「Farap?Turkmenistan?」と聞いて「Yes」と答えてくれたバスがあったので乗り込みます。

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 が、バスは南ではなく北に爆走していきます。「どっかのバス停で客をもう少し集めてからUターンするのかな?」と思ってすこし様子を見てみますが、どうやらまっすぐブハラに向かっているようです。やれやれ。

 

周りの客は誰も英語が話せず、僕はウズベク語もロシア語も全然話せず、とりあえずジェスチャーでバスを停車させて道路に飛び降ります。料金を要求してきたらさすがにどついたろうと思ったけど、さすがにそこはスルーでした。

 

オロットの手前にカラコルという街があるようなので、そこまでの2kmを歩いてからまた移動手段を探します。(写真)

 

カラコルからオロットまではマルシュルートカで行けたんですが、国境のファラップまではバスがないようです。

※地名が分からなくなってきた人のために確認。北から

ブハラ→カラコル→オロット→ファラップ→トルクメナバット

です。

 

試しにタクシーに値段を聞いてみたら「40ドル」とかいうアホみたいなぼったくり方をしてきまして、何語で文句を言おうか考えていたらあれよあれよという間に「5ドル」とか落としてきましたが、もうタクシーは嫌いなので日本語で「あばよ」と言って去りました。サービス精神どころか「ニーハオニーハオ」と馬鹿にした口調で言ってくるので終わってますね。

 

タクシーは料金交渉がメンドウなのでヒッチハイクにします。5分くらいで捕まりました。

 

が、中央アジアではヒッチハイクでも少額を渡すのがルールらしく、現地人のおじさんとちょっと料金交渉で揉めました。結局30kmを5ドルで乗せてもらいました。おじさんは国境を越えずにUターンしていました。同じ5ドルでもタクシーの運転手に渡すより現地の人に渡した方が気分がいい。

 

国境審査についてはまぁ予想の範囲内でした。(ここらへんは撮影禁止なので写真はありません)

 

ウズベキスタンの出国審査場に着いたのは12時前後でしょうか。レギストリツィレ(滞在登録)の紙切れをパラパラっと確認された程度でスムーズに出国。

 

そこからトルクメニスタンの入国審査場までは鉄条網で区切られた道をしばらく歩きます。長距離トラックが長い列を作って停車していて、ラマダン中だというのに運転手たちがトラックの日陰で堂々と昼食を食べていましたね。

 

1kmちょっと歩いたでしょうか、ようやくトラックの列が切れたと思ったら謎のチェックオフィスがあり、そこからイミグレのオフィスまでの500mほどは指定のミニバンに乗らないといけないようです。なんか1ドル取られましたが、博物館に展示されてそうなレベルのザ・ソ連みたいな鼠色のおんぼろミニバンだったので入場料だと思って払いました。現地の人は1マナト(1/6ドル)を払っていました。乗ってみるとガソリン臭くていい感じです。ドアも天井もめっちゃ薄いし、配線はむき出しになってるし、逆にこの車で500m以上の距離は走りたくないですね。

 

ようやく入国審査。めっちゃ荷物を抱えた30人くらいの現地人で税関がパンクしていましたが、なんか外国人というだけで「お前先に行けよ」みたいに優先させてもらえて、2時間くらいで入国審査が済みました。単純に仕事が手作業すぎて遅いんですよね。国税の14ドルをなかなか受領してもらえず待ちました。パソコン使えばいいのに。あと税関カードがロシア語でも英語でもなくてトルクメン語だったんですが、周りの人のカードを見せてもらいながら雰囲気で書いたら問題なかったです。

 

イミグレを出たところに現地人が10人ほど集まっていて、どうやら例の博物館バスを待っているようです。たまたま英語が話せる女子学生がいたので、通訳してもらって別のおばさんと闇両替していきます。1ドル≒18.6マナトというのがこの時の闇レートです。ちなみに時刻は15:10、明るいうちにイミグレから出れましたね。

 

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 国境からトルクメナバットまで移動手段はタクシーしかないんですが(いや20kmくらい歩けるけど)、その女子学生というのが優しくてですね、タクシーの運転手とトルクメン語でケンカしてくれています。

「おいそいつ外国人だろ?ぼったくってやれよ」「は?何言ってるの?彼は私たちの友人だからそんなことさせないわ」

とかそういう会話でしょうか。国境タクシーの運転手ってなんでこんな病的なんですかね。結局その運転手とは交渉が決裂して、別のタクシーに彼女の友人2人(男1人女1人)を合わせた4人で乗っていきます。

 

国境からトルクメナバットまでの道路は砂漠に囲まれていて、ここを自転車で突っ切るのは考えただけでキツそうです。真夏は50℃とかなるらしいし。

blog.livedoor.jp

とか思ったら5日間で灼熱の700kmを自転車で走破している強者がいましたね。 

 

とにかくタクシーはトルクメナバットに到着。割り勘?で10マナト払いました。

 

 

ドゥシャンベにてトルクメニスタン通過ビザを35ドルで取得した話。

 タジキスタンの首都ドゥシャンベで、トルクメニスタンのトランジットビザを取得しました。申請したのは2019年5月3日(金曜日)、ビザをパスポートに貼られたのは5月17日(金曜日)です。

 

・申請から受け取り(パスポートに貼られる)まで10営業日、合計35ドル
・提出書類は顔写真2枚、イランビザ(白黒)1部、申請書1部、嘆願書1部

 

ビザ料金

僕は申請時に10 USドル、受取時に25 USドルをそれぞれパキスタン銀行の窓口で払い、領収書を提出しました。

しかしネットで改めてトルクメニスタンのビザ料金を調べてみたところ、
2015年8月 68ドル(入国税を含まない?)
2016年8月 73ドル(入国税を含む)
っていうのが出てきまして、どうやら大幅に値下げされているようです。
もしくはこの2つは国境で受け取りにしているのでその違いかもしれません。ちなみに入国税は14ドルでした。

 

場所

そもそも在ドゥシャンベトルクメニスタン大使館はここにあります。

※僕が行った時点で大使館の本館は工事中であり、手続きは隣のプレハブのような小屋で行いました。ひょっとすると大使館が移転することがあるかもしれないので常に最新の情報を集めてください。

開館時間は平日の9:30~12:00と15:00~16:00です。午後もあるのがありがたいですね。

 

市内のかなり北部ですが、この近辺にはほかにも大使館がいろいろ集まっています。ちなみに泊まったのは「City Hostel」というところ。最安値ではないですが新しくてキレイでした。

 

ビザの料金を支払うのはこの銀行です。ドゥシャンベは市内バスに乗るためにICカードが必要ですが、電話番号というかSIMが必要らしく、そもそもICカードを買えるキオスクがどこにあるのか分からなかったので僕は買いませんでした。タクシーでだいたい15マナト(200円)くらいで行けます。 

グーグルマップには載っていませんが、どちらもMapsMeには掲載されています。(僕が今回アップしておきました。そのうち反映されると思います) 

 

必要書類

顔写真は通常サイズの3cm×4cm。

 

ビザについては昔の情報によるとカラーコピーじゃないとダメと書いてありますが、僕は白黒のイランビザをそのまま受け取ってもらえました。ウズベキスタンは2018年2月からビザが不要になったので、もちろん提出はしていません。

 

申請書、嘆願書は大使館で渡されるのでその場で書きます。記入例の氏名が日本人の名前になっていたのは何となく安心感があるのか、ないのか、、、(その日本人の名前をメモったのですが紛失しました) 

 

ちなみに嘆願書というのは「お願いします!ビザをできるだけ早く発行してください!」という書類です。こっちは急いでないにしろ、嘆願しない限り仕事をしてくれないということなのでしょうか、、、

 

旅程

ちなみにトルクメニスタンの旅程はこんな感じです。

 

5月24日 ブハラ(ウズベキスタン)→ファラップ国境→トルクメナバット
5月25日 トルクメナバット→バイラマリー(CS泊)
5月26日出発、5月27日到着の夜行列車でバイラマリー→アシガバッド
5月28日 アシガバッド→ハウダン国境→マシャド(イラン)

  

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 地獄の門には行きませんでした。遠い。。。

ビザが1週間だったら行ってました。

 

【ここからの旅程】ヨーロッパ自転車横断ルート・北米の移動など

ちょっと前に旅を終える決意をしましてですね、

wonderfulsolution.hatenablog.com

 

もうね、時間があまりないんですよ。旅の密度が濃くなっているのかは分からないけど、少なくともリアルタイムでの詳細な旅日記の更新ができない。体感としては音速を超えてマッハ3くらいで移動している感じです。

 

ここまではウランバートルとかビシュケクとかで腰を据えて記事を書いたりもしたけど、これからはそうもいきません。

 

トルコのアンカライスタンブールで自転車とテントを購入する予定でして、ヨーロッパはそれで横断してみようと思っています。これがそのルートマップです。だいたい3500~4000kmを50~60日くらいで走破するつもりです。

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青は日数に余裕があったら寄ってみたいルートなんですが、ポーランド南部のアウシュビッツとかにはぜひ行きたい。

 


ということで9月上旬までにイギリスに到着してですね、自転車は現地にいる友人にあげるか、留学していた大学に寄贈しようと思っています。(このためのイギリス留学だった、というのはちょっと言いすぎです。)


イギリスまでだとユーラシア横断なんですが、せっかくなのでオマケ程度に北米にも行きます。まだ航空券は押さえていないですが、

 

イギリス(ロンドン)

→カナダ(モントリオール)

→陸路でアメリカ(ボストン・ニューヨーク)

→陸路でカナダ(モントリオールかオタワかトロント)

キューバ

→メキシコ

→大阪

 

のような感じかなと思っています。これを2週間とか。もうマッハ5くらいですかね。アメリカはビザが降りなかったら断念、そのぶん周辺の国の滞在時間を伸ばします。

 

ちなみにここまでの旅程について。

 

トルクメニスタンとイランではネット環境が劣悪だったせいでブログの更新ができていないですが、その分とても印象的な国でして、ワードで大量の日記を書いています。とりあえず写真メインでボチボチ上げていこうと思っているのでご期待ください。

 

イランはすごいぜっていう話。

イランはすごい。マジですごい。みんなにもぜひ行ってほしいけど、ビザが大変だし日本からは遠いし実際難しいだろう。だから僕がイランのすごさをここでちょっとだけ紹介していく。 

【その1 人々】

イランの人々はめっちゃ優しい。もはや優しすぎる。

中央アジアでも地元の人は基本的にめっちゃ優しかったけど、客引きとかいう外国人からお金をむしり取ろうとしてくる人間は一定数存在した。そもそも僕にはインド旅行以来、

 

・客引きは外国人のことを「つかんでゆすればお金が出てくるATM」だと思っている
・タクシーの運転手とは血みどろ殴り合いの値段交渉をするもの
・お店の人がいう「ちょっと見ていけ」は意訳すると「買うまで絶対に店から出さない」
ムスリムといえども詐欺師は詐欺師であり、死後の地獄より目先の利益を優先する

 

このような先入観ができてしまっていて、実際のところ今でもこれはある程度正しいと思っている。だけどイランは例外だった。

 

・客引きといえど、まずは外国人ウェルカムの精神
・タクシーの運転手はほぼ適正価格を出してくる。バスや鉄道は公定価格
・お店の人がいう「ちょっと見ていけ」は本当にイランの文化を見てほしいということ
・イランのムスリムはちゃんとしたムスリム

 

こんな感じだった。日本人が海外に行くとあまりに感覚が違いすぎてカモにされるという話はよく聞くけど、イラン人が海外旅行しても感覚が違いすぎて騙されそう。もっともイランのパスポートと賃金水準でどこまで外国に行けるのかはよく分からない。

 

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「英語の練習をしたい」とか言って頼んでもいないのにガイドを始め、「あぁこれは最後にチップをせがんでくるケースかな」とか思っていたら「ちょっと本屋に行かなきゃ、じゃあね!」とかって去っていった。ただ単に善良なだけだった。

 

【その2 物価】

イランの通貨はとても複雑で、到着して3日くらいは本当に理解不能だった。しかも出国して3日も経つと思い出そうとしてもよく分からなくなる。そのレベルで意味不明。がんばって説明していこう。

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紙幣はヨレヨレ

一番高額な紙幣は500,000リアル紙幣である。

 

しかしイランの人々は「リアル」ではなく、ゼロを1つ減らしたトマムという呼称を使う。つまり500,000リアル紙幣とは50,000トマム紙幣のこと。

そしてゼロを1つ減らしたうえに、さらにゼロを3つ減らしてくる。だから50,000トマム紙幣のことは「50」とだけ言ってくる。以下「」で囲った数字nは、n×10^4[リアル]を表すものとする。

 

この「50」というのがどれほどの価値なのか説明しよう。僕が入国した時点で100ドルは1,350,000リアルに両替された。もちろん闇マーケットでいくつか聞きまわった結果のレートがこれである。この数日前にトランプ大統領がイランとの核合意で揉めたため、レートが1日で10%ほども下落していたらしい。それ以前は100ドルが1,450,000リアルだったとか。ちなみに50ドルとか20ドルとか少額紙幣になるともっとレートは悪い。

 

さらに調べてみると、去年の公定レートだと100ドルが42,000リアルとか50,000リアルとかに両替されていたらしい(幅がすでにすごい)。それが30倍くらいの額に増えている。ものすごいインフレである。

深刻化するイランの人々の暮らし-米国による「最強」制裁の影響-- 記事詳細|Infoseekニュース

 

とにかく、そのレートから計算していくと現地の人がいう「50」とは3.7ドルのこと。別の言い方をすると、現地の人がいう「1」を8.2倍くらいすると日本円になる。

 

水1.5Lは「2」か「3」、つまり17円から25円くらい。もしくは英語が話せる人ならちゃんと「2,000トマム」とか言ってくれる。食事をすると「27」とか「32」とかそのくらい。250円だから安いといえば安いけど、さんざん経済制裁を食らってインフレしている割には物価は崩落していない。というかもう感覚がパッと分からない。

 

なおタジキスタンで会ったドイツ人によるとガソリンは1Lが3セント相当だったらしいし、油関連については物価が崩壊している。水の1/5の値段だ。産油国すげぇ。ちなみに隣国のトルクメニスタンアゼルバイジャン産油国ではあるが、ガソリンは1Lで30~50円くらいみたいだ。

 

 

さて、ここまでの説明でなんとなくでも納得できたならその時点ですごいんだが、納得できなかった人をさらに困惑させるようなことをイラン人はやってきた。

 

まず、一番大事なことを実はここまで書いてきていない。なんと「イランでは算用数字ではなくアラビア数字を使う」のである。ここまで0とか1とか書いてきたけど、それがイランではまったく違う・とかノとかになる。紙幣を裏返すと算用数字も書いてあるけど、スーパーの値札とかは全部アラビア数字で書いてある。読めない。

 

そしてあろうことか、僕が外国人だからかあえて「トマム」ではなく「リアル」で表示してきたことがある。ちょっと水とパンを買っただけなのに「6,000(50円くらい)」じゃなくて「60,000(500円くらい)」というのを電卓で打って見せてきた。打ち間違いではなさそう。あと何回か僕がレジのスクリーンで値段を確認することがあったけど、そこにはリアルで表示されていた。

 

次に「1」より小さい額について。そもそも「1」とは8円くらいなので基本的にそれより小さい額を使う機会はないんだけど、メトロの料金は「1,200トマム」つまり「1,2」だったのでお釣りが出てきた。コインの額面はトマムではなくリアルなので「1000」「5000」というのをコインに彫り出してある。

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あとはさっきの写真を見れば分かるけど、「50」と「5」、「10」と「1」の紙幣のデザインが似ている。というか色がそれぞれ水色系統と薄緑色系統で似せてある。暗い路地でパッと見ても判別不能


【その3 観光】

イランの観光資源はすごい。

僕は日本にいるとき「イランといえばイスファハンかな」というレベルの知識しかなかったけど、どうやらイスファハン以外にもシラズとかヤズドからタブリーズとか、国内のあちこちに長い歴史を誇る都市があるようだ。

現地の人は自分達が外国と政治的に揉めていることを自覚しているが、同時に自分達の国の持つ歴史や文化の価値も自覚している。観光地を歩いていても客引きは「ちょっと見ていけよ、イランについて説明してやるよ」と言ってきて、実際そのまんま説明だけしてくれて「じゃあな!」と解放してくれる。

というか観光については文字で説明するより写真を見せたほうが早そう。

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カシャン。散歩してたら道端にこういうのがあちこちにある。

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イスファハン。現地の人にとっては憩いの場所というか散歩コースになっている。

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同じくイスファハン。さすがに「世界の半分」はちょっと言いすぎだけど、公園としての完成度は高い。

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テヘラン駅。スマホを向けるとタクシーの運ちゃんが笑顔でポーズを取ってくれる。

 

【その4 イラン渡航歴】

イランに入国するとアメリカの入国が難しくなる。イラン以外にもイラクスーダン、シリアへの渡航歴があるとESTAではなくビザが必要となる。

 

イランの入国審査はけっこう変わっていたので最後に軽く紹介しておこう。

 

そもそもイランにはトルクメニスタンから陸路で入国した。アシガバッドの宿で会ったポルトガル人のカップルがちょうど同じタイミングと同じルートで移動する予定だったので同一行動を取ることにしたんだけど、彼らは入国審査でほぼスルーのようだった。

 

僕については、入国時に別紙を渡されて、そこに指でスタンプを押していくというアナログな記録の仕方をされた。入国も出国もスタンプは事前に印刷していたイランのビザに押されたのでパスポートを見ても入国歴は分からないけど、アメリカ入国のときには正直に申告したほうが良さそう。

 

あとアメリカとイランの関係はここ最近とくに険悪になっていて、ビザを取ってもアメリカに入国できるかはちょっと不明。

 

 

中国、インド、イランが経済協力圏を構築したらどうなるか

 

※大学の成績などとはまったく関係のないあくまで趣味としてのレポートです。甘い部分がいくつもありますがご容赦ください。
※この構想は完全なるフィクションです。今のところこの動きはないようです。

 

要旨

中国、インド、イランは地理的に近く、この3ヶ国が経済協力圏を構築した場合にどのような事態が起きるのか想定してみた。そもそも現時点でそれぞれ2ヶ国間の国際関係はおおむね良好であり、関税の撤廃も含めた貿易協定やインフラ整備など経済協力の流れもある。今後この3ヶ国で経済協力圏が形成された場合、その周辺国も様々なメリット・デメリットを受けることになるだろう。

 

1、前提知識など

アメリカとイランは核合意で揉めており、アメリカと中国はファーウェイ問題で揉めている。アメリカとインドは友好国と言われるが、インドはイランや中国と敵対しているわけではない。

「日本・中国・トルコ・韓国・インドは、各国に対してイラン産石油の輸入を禁止させようとするアメリカの方針に異を唱えている。」

http://parstoday.com/ja/news/iran-i52823

「欧州も核合意を継続する意向。」

欧州はイラン核合意を堅持=ドイツ外相 - ロイターニュース - 国際:朝日新聞デジタル

「そもそもイランの核合意とは、イランが核開発を中止する見返りとして各国が経済制裁を解除するもの。」

アメリカのイラン核合意離脱って、結局どういうこと? | POTETO Media

実際にこの3ヶ国の経済協力圏を構想とした文献は見当たらなかったため、これ以降は「アジア経済協力圏(AEC)」と呼称する。

 

2、2国間の国際関係


2.1、中国とインド

この2カ国で人口の世界1位を争っているわけだが、カシミール地方を巡って緊張状態が続いており、1962年には直接衝突したこともある。

 

そもそも経済規模では中国がインドを圧倒していて、中国製の工業製品が貿易摩擦を引き起こしている。中国製の電子機器にスパイウェアが搭載されている疑惑などもあったが、そのつどインド政府はセーフガードやアンチダンピング措置を講じてきた。

 

また中国は一帯一路の一環として中国・パキスタン経済回廊(CPEC)を掲げており、インドと仲の悪いパキスタンに多額の支援をしている。

 

逆にインドも、ダライラマ14世の亡命受け入れなど中国への対抗措置を取っており、またインドの核開発も中国にとって脅威といえる。

 

このような問題を抱えながらも、インドにとって中国は最大の貿易相手国であり、中国企業にとっても巨大で成長率の高いインド市場は魅力的である。

 “情報機器大手ファーウェイ(華為技術)がインド・バンガロールに中国以外では世界最大となる開発センターを開設した。世界最大の鉄道車両メーカーで、ムンバイ・メトロ(都市高速鉄道)の車両納入の実績もある中国中車(CRRC)は、西部マハラシュトラ州への工場建設を表明してインド政府を喜ばせた。家電大手のハイアール(海爾集団)は11月、同州にある工場の拡張投資を終え、主力の洗濯機だけでなくエアコンや液晶テレビ用パネルなどに生産品種を広げる計画。”

 

“インドでは2017年末の時点で1年に2億5000万台以上の携帯端末が売れていて、その半分以上は中国製である。そもそも携帯電話の基地局を設営しているのはほとんどが中国企業である。”

中国とインド「嫌い合う二大国」が本気でケンカしない理由(山田 剛) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

 

インドの第2次5ヶ年計画において、最重要課題はアメリカとの関係ではなく中国との関係、特に経済協力である。インドの周辺国家も中国との関係性を慎重に見極めようとしている。

Modi 2.0 and India’s Complex Relationship With China | The Diplomat

 

2.2、中国とイラン

中国政府とイラン政府は、原子力分野や貿易分野での協力を強化することで合意した。

中国とイラン、協力強化で合意 習主席が大統領らと会談 - ロイター

 

“中国は今まであまり積極的に中東に関与してこなかったが、米国の影響力が低下する中、そのプレゼンスを高めようとしている。中国外務省は「わが国は欧米諸国とは異なり、中東で紛争に直接関与したことがない。それだけに、公平な和平交渉が可能となる」と発言し、中立的な立場を取ろうとしている。”

中東でプレゼンスを高める中国、「一帯一路」構想実現へ | Platnews

 

(全然読めていないですがこんなレポートもありました)

https://www.rand.org/content/dam/rand/pubs/occasional_papers/2012/RAND_OP351.pdf

 

2.3、インドとイラン

インドはアメリカとの関係を強化しつつも、イランとの長年のつきあいも健在であり、両国とのバランスの取り方に苦労している。

A Fine Balance: India Walks a Tightrope between Iran and the United States - ScienceDirect

 

インドは原油の12%をイランから輸入していて、インドの国営精油所もイラン原油仕様になっており、エネルギー面での依存度が高い。また中国の一帯一路に対抗してイラン、トルクメニスタンカザフスタン、ロシアを鉄道で結ぶ「南北回廊」の計画もある。さらにインド国内のシーア派人口はイランに次いで世界2位である。

対イラン制裁に消極的なインド 米国への反論 WEDGE Infinity(ウェッジ)

 

インドとイランは貿易協定(PTA)により、インド産の農産物やイラン産の石油・肥料・薬品にはお互いに関税をかけない、もしくは大幅に減額することになった。

India Iran trade: India, Iran may hold next round of negotiations for trade agreement in May

 

3、3ヶ国を合計したデータ

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(世界銀行) World Bank Open Data | Data
(外務省) 欧州連合(EU) 概況 | 外務省
(外務省) ASEAN(東南アジア諸国連合)概況 | 外務省

NAFTA - North American Free Trade Agreement 2019 | countryeconomy.com

 

人口とGDPだけで経済圏の規模を正確に比較することはできないが、AECは他の地域に比べて人口が突出しており、総GDPEUに匹敵するほどの規模である。

なお中国、インド、イラン、EUのデータは2017年、NAFTAのデータについては年が不明、ASEANは2016年。

 

4、想定される障壁

2国間ですでに抱えている問題については割愛する。

4.1、言語

中国では中国語(北京語/普通語)、インドではヒンディー語と英語、イランではペルシャ語アラビア語が主に使われている。現時点ではビジネス分野で問題ないレベルにお互いが英語を話せる程度かもしれないが、今後翻訳機器の発達により言語の壁は大幅に取り払われるだろう。逆に言語の壁があるからこそ「どの言語でも使える/言語を必要としない製品・システム」が生まれる可能性がある。

 

4.2、宗教

中国は共産党政権のため宗教に寛容ではない。インドではヒンドゥー教。イランはイスラム教のシーア派が国民の多数を占めている。こちらも「お互いの宗教/無宗教を認める」というのは最低ラインとして、「どの宗教/無宗教でも受け入れられる製品・システム」を目指すべきかもしれない。

 

4.3、スケールの違い

中国は人口が10億人を超え、GDPも12兆ドルを超えている。インドも人口は10億人を超えてはいるが、経済的にはまだ発展途上にある。イランは人口が8千万人ほどで、経済規模も他の2国に比べると小さい。EUではイタリアやギリシャの抱える債務をドイツやイギリスが負担するような構図になってしまったが、AEUもこの域内の不均衡を抱えそうであり、その対応が必要となる。

 

5、想定されるメリット

一般的に「先進国」といわれる北米やヨーロッパに対抗する経済圏としての価値は高い。特にBRICsと呼ばれる5ヶ国のうち、インドと中国が関税撤廃などの貿易協定を結ぶことは、その経済規模と成長率を考えるとインパクトが大きい。

また対アメリカを共通項とする中国とイランは、軍事や通信分野などで協力してもおかしくない。比較的ドメスティックな成長をしてきた中国企業にとって、インドやイランの市場は開放されれば非常に魅力的であろう。

6、周辺地域への影響

具体的な周辺地域とは、ミャンマーブータン、ネパール、パキスタンアフガニスタン、そして中央アジア諸国を指す。日本、韓国、ロシア、カフカス諸国、中近東、東南アジア、スリランカなども広い範囲では周辺地域と言える。この3ヶ国の協力体制ができれば、陸路での物流、ひいてはそのインフラ整備がより活発になる。

 

すでにパキスタンについては中国の一帯一路、インドの南北回廊の現場となっており、多額の投資がなされている。またアフガニスタンもインドとイランの中継地点になりうるため。治安維持の強化があるかもしれない。実際にこの経済圏にどこまで関与するかは各国の選択になるが、巨大な供給源と巨大な市場が開かれることになる。

 

もちろんこれは単純に朗報とはいえず、自国の小さな市場で完結させているところを突然巨大な経済システムが飲み込む、というような事態も起こりうる。

 

そもそもこの経済圏はおもに中国、インド、イランの3ヶ国のメリットを重視して設計されたものであり、いくつかの周辺国にとっては脅威になるかもしれない。