ヤマダ=イスキーの旅日記

イギリス留学、世界一周などをしていました。

中学校は3年。高校も3年。そして大学での前半3年が終わった。

大学生活の前半3年が終わった。

 

当たり前というにはちょっと長めの注釈が必要になるんだけど、とにかく僕は中学校と高校にはそれぞれ3年通っていたわけで、ちょうどこのタイミングというのが1つの節目なのかもしれない。いや実際には僕はまだ世界一周のど真ん中でキルギスビシュケクとかいう有名な沈没スポットにいて新規パスポートの発行待ちをしているし、ぜんぜん節目なんていう感覚はないんだけど、とりあえず時間というか年月の点では節目だということにしておく。

 

で、中学校の3年間や高校の3年間と比べて大学の前半3年間はどうだったか振り返ってみた。

一言で簡単に分かりやすくまとめるなら「大学のほうが充実していた」。というか充実している。もっと詳しく分析してみると、おおよそ次の3つの観点で変化があった。

   

勉強から学問へ

僕の中学校生活で最大の課題は「高校受験」であり、そして高校に進学してから最大の課題はまたしても「大学受験」だった。ここでもし大学生として最大の課題が「就職活動」であるなんて言おうものなら「君はいったいいつ自分の人生を生きるんだね?」みたいに誰かから言われそうな気がするが、幸いそうではない。

 

大学生になってからというもの自分の学びたいことを精一杯学べているような気がする。いや、これは前回もどこかに書いた気がするけど、旅に出てからというものルーチンワークが非常に困難になっていてコツコツ何かを覚える作業ができていない。だけど少なくとも「これは受験に役に立つのかなぁ」とかいう狭量な考え方をする必要がなくなってホッとすることがよくある。

(僕の高校時代の平均評定が4.8/5.0であることを鑑みれば僕が決して単なる受験人間でなかったことが分かると思う)(ちなみに大学のここまでの全体平均GPAは2.4/4.0とかいうポンコツだけど、取得単位の平均GPAは3.1/4.0となかなか健闘していることを付記しておく)

 

とはいえ少し文句もある。京都大学では自分の勉強したい分野を好きなだけ学べるみたいなことを高校生のときに聞いていたけど、しかし実際は卒業要件でいろいろと指定されているので最低限の一般科目というかリベラルアーツというか教養科目というものを履修しなくてはならない。それはちょっと話が違うぜという思いが強い。

 

そうは言っても、僕みたいに合計で京都に30ヶ月くらいしか住まない予定の人間ですらきちんと卒業させてくれそうな大学というのはなかなか日本に見当たらないだろうし、それについてはありがたいなとつくづく思う。

 

※つい先日ようやく留学先での取得単位が正式に認定されて、残り必要単位が60+10(卒論)ということが確定した。60単位というのは2半期(1年)もあれば取り切れるものであり、残りの在籍期間が1年半である僕は充分に6年で卒業できそう。もちろんこの6年のなかにはイギリス留学1年と休学期間2年が含まれている。

 

 

で、中学や高校では時間割というものが渡されて、どんな授業であってもちゃんと始業チャイムが鳴ってから終業チャイムが鳴るまで椅子に座っていなければならなかった。しかし大学というものは、というか少なくとも京大では、もっと個人の裁量に任されている。講義内容とか教授の教え方が合わなければ図書館に行って自習できるし、なんなら大学外に出ていろいろと学ぶことが許されている。(ただし期末試験やレポートで及第点を取れるなら)

 

加えて僕はいちおう農学部のなかで農業経済を扱っている学科に入学したわけだけど、3年間のあいだに学びたい分野というのが「宗教、政治、言語」とかにシフトしつつあり、それでも転学部とか転学科とかしなくても何とかなりそうというあたりが大学における学問の懐の深さなのかなと思う。

 

まとめ直そう。大学では「学ぶスタイル」そして「学ぶトピック」への寛容度が高くなった。そして自分がその時その時で一番学びたいことを学べるようになった。ありがたい。

 

 

資金と時間と裁量権

これはもっと具体的である。そして多くの大学生にあてはまると思う。

 

まず資金について。

 

中学校や高校ではバイトを禁止しているところが多いし、そもそもそんなことをしている時間の余裕はないかなと思う。だけど大学生になれば資金調達の手段が格段に広がるし、それに成人であれば法的な制約もかなり緩くなる。

 

もちろんバイトだけではない。クラウドファンディングに挑戦したり、各種の奨学金助成金・コンテストに応募したり、はたまた企業にアタックして資金や物品の提供を得ることもできる。最近のトレンドはネットで稼ぐとかいうやつだろうか。詐欺には注意しつつもちゃんと調べてみれば金脈は思っているよりいろいろ存在する。そして個人じゃなくて学生団体とか法人だったらもっと使える資金の額が大きくなるのかもしれない。(これについては詳しくない)

 

僕はこの3年間ずっと資金難に喘いできたが、それでも中学生や高校生のときよりはずっとマシである。今後3年間はさらに資金面で余裕ができるかなと思うが、それでも学生なのでたかが知れている。

 

 

次に時間について。

 

僕に限った話ではないと思うが、中学3年間、高校3年間は文字通りすべて受験に使ったような感覚だった。少なくとも土日とは単に「学校じゃなくて家で勉強する日」であって「遊べる日」なんてものではなかった。(「山に登る日」という感覚はあった)

 

それが大学生になると、時間割を自分で組めるから「よし、今期は金曜日を空けて毎週3連休だ」なんてことも可能になる。いや僕は京都にいるときには基本的に毎日フルコマだったけど、そういう人もいるよということ。

 

もちろん僕みたいに2年間休学して自分でスケジュールを組んで生活することも可能である。こんなことを言うと「え?毎日予定がないの?ダラダラできそうだね」みたいに思われるかもしれないが、僕は半年先まで週刻み、2週間先まで日割り、3日先まで分刻みみたいなスケジュールで生活というか世界一周している。

 

まぁもちろん選択肢としては「2年間休学してダラダラする」ということも可能ではある。あまりオススメはしないけど、京大生のなかで特に寮に住んでいるような人ならいないこともない。

 

とにかく、大学生というのは自分の好きなようにスケジュールを組める。これはよく言われることだけど、社会人や中高生との最大の違いなんだろう。

 

 

そして裁量権

 

個人的にはこれが一番デカい変化だったかなと思う。

 

正確に言うなら「大学生になってから」というより「法的に成人してから」の変化である。僕は入学したときまだ18歳だったから、契約を結ぶときにいちいち親のサインが必要だったり、それどころか未成年だから却下と言われたことも何度もある。締め切りが迫る前にできるだけ早く連絡して、京都から札幌に必要書類を送って、不備のないように書いてもらって、送り返してもらったのをチェックして、という手続きのなんと面倒だったことか。

 

もちろん18歳だとまだ信用されないことは理解できるけど、それなら20歳になった瞬間に判断能力なり責任能力なりが著しく発達するとでもいうのか。どこかでリミットは設けつつも、もうちょっと10代に裁量権を渡してもらいたかったなと思う。

 

自分の選択に責任を取れるようになった。自分で自分にゴーサインを出せるようになった。自分の人生をようやく自分でデザインできるようになった。いろいろな言い方ができる。

 

 

人脈と情報量

ここまで書いてきたことと似ているが、あえて書いておく。

 

大学に入ってから会う人の種類が変わったように思う。

 

もちろんそれは「北海道の地方公立中学校・地方公立高校」と「京都大学」の違いでもあるんだけど、もうちょっと人間関係そのものにも変化があったように感じる。

 

これは難しいところだけど、あえて表現するなら

「その人がこれまで何をしてきたか」

「その人がどんな情報や経験を持っているか」

「その人がこれから何をするのか」

「その人と自分はどんな価値を生み出せるのか」

という観点から関係を築くようになったんじゃないか。

 

高校までの人間関係は「地縁・血縁」に依拠していて、大学からの人間関係は「個人としてのベクトル」に基づいている。そんな感じ。クラスでたまたま席が隣だったから、登下校のときにいつも見かけていた、というような出会いが大学では起こりにくくなった気がする。

 

どっちがいい悪いとか言っているのではなく、ただ人間関係が変質したなぁということ。

 

加えて、大学生になってから日本全国どころか外国、そして同世代だけじゃなくて社会人とも会う機会が増えた。これは僕が特にトビタテとか留学とか世界一周とかブログとかをきっかけに色々なコミュニティーに属しているからというのが大きい。別に目標とかにしてきたわけじゃないけど、単純に新しい人に会うのって楽しいからチャンスを逃さないようにしてきた感じ。

 

 

 

そして情報。

 

人脈と情報は密接に絡んでいる。

 

新しい種類の人と会うということは、新しい種類の情報を知るということかもしれない。そして手あたり次第に人と会うのではなく、情報をもとに人脈を選定すべきなんだろう。

 

大学生になってから、入ってくる情報の種類というか質が変わったように思う。

 

たとえば高校生のときは(当時において)現在進行形で世界一周している人なんて知らなかったし、海外留学や海外進学も具体的な情報は入ってこなかったし、さらには日本や世界の生の情報、最先端のアイディアだとか先鋭的な思想だとか、そういう話が入ってきていなかった。興味がなかったわけじゃないけど、札幌という土地柄と高校生という身分がなにかと制約になっていた。ネット環境も良くなかったし。

 

それが大学生になってから、起業している人とか休学している人とか、論文を発表している人とか研究所でインターンしている人とか、プロの卵みたいな種類の人間と会うことができるようになった。そういう人は僕にとって新しい情報へのアクセスであるし、もっと単純にいい刺激になっている。そして僕自信も周囲の人にとっていい刺激になれるように頑張りたいなと思っている。

 

ちなみに京都に住んでいたときは海外の最新情報はあまり入ってこなかった。そういう情報というものは自分から積極的にアンテナを張っていかないとキャッチできないものだから、帰国してからも網を張り続けなきゃと思う。ただ繰り返すように中学や高校では「受験」に絡まない人脈や情報は優先度が低くてスルーしていたし、それに比べたらはるかに進歩している。

 

もちろん受験を否定しているわけじゃないし、これはあくまで「大学に入ってからの変化」の話である。だけど大学生の今のほうがずっと恵まれているなと本当に思っている。

 

 

 


 

なんか流れの悪い文章だなぁと書きながら思うし、それに書いている内容がけっこうありきたりになってしまったが、とりあえず大学生になって良かったなぁというのと、これからの3年間も頑張ろうというのが今の気持ちである。(ちょっとさすがに頭が悪すぎる締めなので書き換えるかも)