こんにちは。世界一周を目前に控えていると「お前と会うのは2年後になるかもしれないから今のうちに話しておくけど」みたいな話を複数の友人からされるわけで、お返しというわけでもないですが僕もちょいとカミングアウトっぽい話をします。
この記事の要旨は
中学校がすごく嫌いだった。
高校もどうせ中学校の延長だろうと思って、高認を取ってすぐ中退するつもりだった。
ところが高1の夏に高認を取ったものの、予想以上に楽しかったから結局3年間通うことになった。
というものです。
忙しい方はここまで読めば充分です。どうもありがとうございました。
ここから長文になります。暇な方はとりあえずこの記事をお読みください。
wonderfulsolution.hatenablog.com
この記事の一番下にもリンクを貼っているので、ページを行ったり来たりしたくない方は後まわしにしてもらっても結構です。
とりあえず僕にとっての中学校生活とは、「授業がつまらない。だけどやることはやっておかないと色々めんどい。勉強は大好きだったけどだからこそ授業中が苦痛だったし、時間ももったいないので寝るか資料集を読むか問題集をやるかしていた。」ということです。大学生になった今振り返ってみても中学生の僕は可哀そうだったなと思うし、僕みたいな生徒が今でもいるんだろうなと思うとやりきれなくなります。
まあ本題に入っていきましょう。
1、そもそも高認とは
意外といいますか、高認の知名度はそれなりにあるようですが、一応ここで軽く説明しておきます。
そもそも高認とは「高校卒業程度認定資格」の略称で、かつては大検すなわち「大学入学資格検定試験」と呼ばれていました。これらは同じものと思ってもらっていいです。
この高認を持っていると、どんな学歴だろうが18歳になると大学入試を受けることができます。ちなみに"18歳"というのはセンター試験の受験資格の1つなので、日本では基本的に飛び級に挑戦することはできないことになります。ただ千葉大とかセンター試験を介さない方法での飛び級なら可能です。
難易度について言うと、合格基準は40~50%でさらに選択式(5択)なので決して難しくはありません。僕の場合は受験科目が「国語、世界史A、地理A、現代社会、数学、科学と人間生活、化学基礎、英語」の8科目あって、1科目も落とさないという点はちょっと緊張したけど何とかなりました。(というか随分と過去のことなので「何とかクリアしたみたいです」という表現が正しいです。)
もっと詳しい説明はこちらのリンクをどうぞ。
ついでにトビタテ留学JAPANも主催は文科省なんですが、やっぱりこういう救済措置を取ってくれるのはめちゃくちゃありがたいですね。何度もお世話になります。
僕がこの試験を知ったのは中学3年生の秋くらいで、本州の高校に出願しようとして親や先生となんだかんだ揉めていた時期でもありました。結果的に「じゃあ札幌の高校に進学するわ。でも高認取ってさっさと辞めるわ」という妥協策に落ち着いたんですが、今アドバイスできるとしたら「奨学金もぎ取ってスイスとかアメリカとかどっかの高校に行ってこい」と言うでしょうね。
ちなみに北海道育ちの僕が「関東や関西の同年代の生徒は小さい頃から詰め込み教育を受けてきて、さぞかし賢いんだろうな」みたいな劣等感を少なからず抱いていたことは確かです。しかしこれについても今では「そこまで差はないから焦らなくていいよ」とアドバイスしたくなります。
まあとにかく入学して半年後に高認を受けたわけですが、結果が発表された秋にはすでに「札幌南おもしろいじゃん。中学校とは世界がまるで違うわ。あと大学もおもしろそうじゃん。このままのレールで走ってみよう」と思っていたわけです。
あまり考えたくはないですが、もし札幌に満足できる高校がなかったとしたら退学とかしてたかもしれないですね。ホント助かった。
2、旅との出会い
中学3年生の秋に高認のことを知ったと既に述べましたが、ちょうど同じころ「平田オリザ」という人の本を読みました。そもそも彼は両親の出身大学の同窓生で、そのつながりで母親から紹介されたんですが、彼は高校2年生の時に自転車で世界一周の旅に出たのです。
これを読んだ時にビビッと来たというか、正直読み終えるどころか本屋で題名と表紙を見つけた時点で人生が変わったように思います。いやいや決して誇張表現ではなく本当に感動しました。
これがきっかけで「旅」という領域に足を踏み入れたわけで、その後バックパッカーの金字塔である「深夜特急 (沢木耕太郎)」や「なんでも見てやろう (小田実)」などを読破していったわけです。
ただ正直なところ、これらはすべて1960~1980年代の旅行記であり、2000年代以降に一時代を築くほどの代表作は出ていないように思います。というか時代の変化とともにバックパッカーのスタイルも当時よりずっと進化しています。もはや旅は多様化しすぎて「標準的」や「理想的」な旅が消滅したのかもしれません。まあこれについては改めて考察します。
とにかく僕に欠如しているものは、「お金」と「旅の経験値」と「保証された身分」だと分析しました。このうち「お金」についてはその後もずっと悩みの種だったわけですが、「旅の経験値」は高校の山岳部時代と大学生になってからの数多くの旅で獲得し、「保証された身分」も京大に休学届を提出することで獲得しました。
(言うまでもないことですが、僕が京大に入った最大の理由は「休学しやすそうだから」です。)
そして中学生の僕にとって「世界一周」とか「バックパッカー旅行」というものは自由の象徴というか、やりたいことを何もできない地獄のような状況での希望みたいなものだったわけです。「どうせあと何年か我慢すれば中学校も高校も卒業してやりたいことを好きなだけできるようになる」という気持ちになれたのはとても大きいです。
3、僕はどうするべきだったか
京大生にしろトビタテ生にしろ「中学校や高校がすごく嫌いだった」という人にはちょくちょく会うのですが、「高校中退を真剣に考えて実際に高認を取った」という人はなかなかいないように思います。とは言っても僕だってその事実はほとんど公開してこなかったわけだし、ひょっとすると他にも同じような境遇の人がけっこういたりするのかもしれないですね。
というのも、トビタテ生には「シングルマザー家庭で大変だったけど、とりあえず英語だけは頑張って中学生の時に英検1級とTOEFLiBT100点取った」とか、「親が生粋のキリスト教信者だったけど、自分の信条を押し通して改宗した」とか、「東工大に飛び級で受かった」とか、そうそうたる経歴の持ち主がいっぱいいるわけです。
京大生は講義をやたらサボるという話は有名ですが、それだって別にサボることを誇りにしているというより「自分で勉強した方が効率がいいし昔からそうしてきた」とか「ずっと座ってるのが無理」とかいう理由が大きいように思います(違う?)。
こういう人たちは日本に何千人、ひょっとすると何万人という単位でいるかもしれません。マクロな視点でどう対処していくべきなのかを考察するとちょっと長くなるので次に回します。
とりあえず僕の場合、「中学校が嫌いだった」という時点からどういう選択をするのがベストだったかについて検討してみます。
この問いに対してはいくつか解を出てきたわけですが、
➀(小学生の時から)習い事をする。特に野球や水泳や武道などのスポーツを習う。
➁(小学生の時から)塾に通う。特に公文とか自分でどんどん進められる塾に行く。
➂1週間とかでもいいから海外に短期滞在してみる。
というのが適切な選択肢かと思います。
もちろん「塾に通い、習い事をし、そして海外にちょっと行く」というのがベストではあるでしょうが、そんな経済的な余裕が僕の家庭にあったかは不明です。
ですが、僕が中学時代に悶々としていた理由を端的に言うならば「溢れんばかりのエネルギーを発散させる場がなくて、常に制約に対して妥協していた」からでしょう。そんなエネルギーがあったらスポーツに注ぎこみたかったと思います。
一応中学生の時は卓球部だったんですが、卓球をしているというより部活をやっている感覚というか、エネルギーを発散するよりストレスを蓄積することも多かったです。
あとZ会で数学と英語を2年くらい先取りしてやっていましたが、塾とは違ってスピード感がないし疑問点がすぐに解消できないのが難点かと思います。あとエネルギーを勉強面に注ぎ込んだ結果として漢検2級と英検2級に受かったわけで、上の選択肢は部分的には達成できていました。
まあ部活にしろZ会にしろ、やっておいて良かったとは思います。
4、一般的に僕みたいな人はどうすべきか
先ほどの
➀習い事に打ち込む ➁勉強に打ち込む ③海外に行ってみる
というのは多くの人に当てはまるアドバイスだと思います。ただ問題点としては「親から経済的に支援がなければできない」のと「田舎ではスポーツクラブも塾もないし海外のハードルも高い」ことがあるでしょう。
ここで有望そうな救済措置が先ほど少し述べた「トビタテ留学JAPAN」です。
そもそもこのプロジェクトは「分野を問わず、実績も問わず、将来日本を牽引していく若者たちを経済的にサポートする」という理念に則っているわけで、僕も含めた「やりたいことをできない」若者を救済する1つの手段としてこのような奨学金が存在するわけです。
しかしあえてこの「トビタテ留学JAPAN」の欠点を挙げるとするならば、
➀つい最近始まったばかりなのに、2020年には終わってしまいそうなこと
➁支給対象が海外に渡航する若者に限定されていて、国内で奮闘しようとしても支援されないこと
➂高校生コースと大学生コースはあるけど中学生コースはないこと
があるでしょう。
もちろんこれはトビタテを変えるべきということではなく、後継の奨学金を打ち出すのも結構ですし、企業が高校生や大学生を「社員として」採用するのも解法かもしれません。
東京オリンピックが終わった2020年からの10~20年間では間違いなく若者の選択肢が広がることでしょう。中学生を対象とした奨学金やプログラマー育成塾がどんどん出てくるだろうし、「そもそも学校なんて行きたくなければ行かなくていいよね」みたいな世論になっていることでしょう(なってくれ)。
この21世紀を建設していくのは紛れもなく「独創的で行動力のある若者」であり、そういう人たちを社会として支援ないし受容していかなければ、明らかに日本は衰退の一途をたどることでしょう。そして今回の僕の旅は決して「自己満足」で終わらせるつもりはなく、アウトサイダ―として社会を警鐘していく責任のようなものを感じてもいます。
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うーんなんか分かりにくい文章になってしまった気もするので、また今度リライトします。とりあえず今はここまで。