ヤマダイスキーの旅日記

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読書感想文「ナルト」

 

➀はじめに

今月末で熊野寮を引き払うため、東京に行くまでのつなぎとして吉田寮に住むことになった。そもそも吉田寮に対しては大学当局から9月末で退去するようにとの勧告が出されており、もちろん寮生は反発しているんだがどうなるかは分からないが、とりあえず日本にいるうちに、そして吉田寮があるうちに経験として入っておこうと思った。この京大の学生寮の話は今回は別にいいけどまた今度改めて書くと思う。

 

さて、とにかくその吉田寮の大部屋にて「ナルト」を発見した。まあほかにもいくつかマンガが転がってたんだけど、中でもこの世界的に有名な「NARUTO」を実は僕は読んだことがなく、これは読まねばならないと思った。読んだ分量で言うとほんのちょっとだけど、いくつかインスピレーションみたいなものを得た。

 

ただし以下の考察において「マンガ」というのはドラえもんクレヨンしんちゃんなどの「アニメ」も含め、➂と④と⑥を除いてスーパーマンバットマンなどアメリカ発祥の「コミックス」も含むものとする。また僕がこれまでの人生でまともに読んだことのあるマンガというと「三国志」「史記」「はだしのゲン」「火の鳥」「ブラックジャック」ぐらいだろうか。小学生の時にもうちょっと読んだはずだけど、そこまで記憶に残っているわけではない。とにかくこれらの作品をサンプルとして以下の考察を行うものとする。

 

➁ナルトの融和性

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顔の彫りは浅いが、肌や髪、虹彩の色から判断するにナルトとサクラはコーカソイド系のように見える。もちろん髪の色は変えれるし、肌の色も当てにはならないし、そもそも彼らがホモサピエンスと同じ基準で分類できるとは思えないが、少なくともここでは「登場人物がコーカソイド系(≒白人)に見える」ということが重要である。

 

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「気」というのは言うまでもなく古代中国に端を発する陰陽五行説のものであり、その後日本で独自の思想上の発展を遂げたとはいえ、やはり中国文化の影響を感じずにはいられない。作品中の場面設定というか背景描写も日本というより中国か東南アジア北部のようである。

 

この「キャラクターの外見は白人っぽく、状況設定は中国文化圏っぽく、それでいて完全に日本オリジナルの作品である」ということこそが、ナルトが世界中で親しまれている理由のように思える。つまり「西洋人でも完全な異物としてではなく東洋文化を吸収でき、中国文化圏でも違和感なく受け入れられ、もちろん日本国内でも確固とした人気を得られる」のであろう。

 

まあこれはほんの前座であり、本題は次からである。

 

 

➂「日本のマンガ」と「アメリカのコミックス」

これは決して新奇性のある対比ではないのだが、「アメリカのコミックス」が善悪二元論や破壊と創造を基調としているのに対して「日本のマンガ」では弱者が主人公になっていて成長とか克服がキーワードになりがちということは確かにそうであろう。

 

基本的に「アメリカのコミックス」では

 

絶対的な悪者が街を破壊

ヒーローとヒロインの登場

悪者とヒーローが戦い、危ない局面を耐えてヒーローが勝利

ヒーローとヒロインが仲良くなって幸せな生活が始まる

 

というストーリー展開が多い。

僕はそこまでキリスト教に詳しいわけではないが、これはまさにヨハネの黙示録と同じ展開になっている。つまり

 

地震や疫病などの天災、戦争や飢饉で民が苦しむ

天使がラッパが吹き、メシアが登場

天界で戦いが起き、サタンが地獄に投げ落とされる

バビロンが滅び、キリストの千年の統治が始まる

 

という流れを踏襲しているのである。

「ストーリーを組みやすい」という理由から意識的に被せているというのもあるかもしれないが、それ以上に無意識にキリスト教の思考回路が組み込まれているのが原因ではないか。

 

 

それに対して「日本のマンガ」では

 

「悪者にもいいところがあったりする」

「ヒーローは負けることもある」

「ヒロインがヒーロー以外と結ばれることもある」

「"めでたし"というより"やれやれ"で終わることもある」

 

と、随分とメッセージ性が異なる。

これは仏教やヒンドゥー教の無常観や輪廻転生に通底するところがあって、

 

「悪い人間がいるのではなく、その人間が悪い行いをしただけである」

「常に正しく、常に勝つような人間は存在しない」

「思い通りにいかず運に左右されることもある」

「幸せと災いは交互にやってくるから、ずっと幸せにはなれない」

 

とそれぞれ一般化できる。

これも意識的に無常観を描こうとしているというより、作者にこの価値観が染みついてしまっているというのが実際だろう。

 

マンガに限らず、宗教が芸術に与える影響というのはとても大きい。

 

 

④農耕社会と狩猟社会

宗教に負けず劣らず、社会構造そのものもストーリー展開に影響を与える。

 

「日本のマンガ」において弱者が主人公となるのは、そもそも農耕社会における最大の課題が「いかに不作の年を乗り切るか」であるからではないか。そのような社会においては「豊作の年にどんちゃん騒ぎをして楽しむ人間」よりも「不作の年におろおろ歩きながらもなんとか解決する人間」とか「圧倒的なハンデをなんとか克服する人間」の方が重宝されるものである。

脇役として「頭のいい人間」「アイディアをぽんぽん出す人間」「マジメで計画的な人間」などがよく登場するのも、そういうタイプが農業の革新には必要だからなのかもしれない。革新とまでいかなくても農業や採集生活にはさまざまな知識が必要であり、知恵袋的なキャラクターはやっぱり必要なようである。

 

それに対して狩猟社会で求められる人間像というのは実にシンプルであって、すなわち「勇敢で統率力のある超人」である。「弱点を克服する」というのも時には必要だけど、それよりも「いかに成功するか」に重点を置いているような気がする。農業において100%確実に成功するというのは難しいが、狩猟であれば獲物を確実にゲットすることは可能である。

 

 

イスラム圏その他宗教での可能性

残念ながらこの章を書けるほど考えはまとまっていない、というより知識がない。

次にイスラム圏に行ったら「この人たちはどんなマンガを描きそうか」をちょっと想像してみようと思う。日本のマンガもかなり普及しているようだけど、僕にとって芸術というのはその国の人々の価値観を端的に表現するものだから、できればその国独自のマンガ文化を発展させてほしいなと思っている。

 

 

ジェンダー意識

 「アメリカのコミックス」において女性は脇役に過ぎないというか、とりあえずヒーローを励まし、ピンチを見守り、最後のエンディングでヒーローと結ばれるためだけに登場しているような感じがある。基本的には悪者もヒーローも強すぎるため他人が下手に干渉することができず、たいていヒーローが男性である以上女性の活躍する出番がないのだろう。同時にヒーロー以外の男性が活躍する機会もあまりない。

 

対して「日本のマンガ」においては、そもそも主人公が弱すぎるので周囲の人が全力で助けなければならず、必然的に男性も女性も活躍するチャンスがたくさんある。ナルトの場合はサクラが随分と重要な役割を果たしているようである。

 

そして特に顕著だと思うのは「母親の強さ」である。例えばドラえもんでは「ジャイアンの母親」があの界隈では最強の権力を持っているし、クレヨンしんちゃんでは「みさえ」が圧倒的な存在感を示している。

 

「男性キャラが完璧ではない」から「女性キャラが活躍している」ということは、求めれば農業史や日本の神話にも同じような状況を見つけることができる。まあ体力が切れかかっているので割愛。

 

 

➆おまけ「言語特性とマンガ」

日本語というのは横書きもできるけど縦書きすることも多い。

しかし世界を見渡してみてもこんな言語はなかなかない。現代において縦書きできるのは中国語とモンゴル語くらいだろうが、モンゴルでは近年ロシア語を使うようになっているらしいし、中国語もそこまで縦書きはしないから、実質日本語ぐらいなものである。まあアルファベットも90度回転させて縦に並べることはあるけど、マンガのセリフでそれをやったら読みにくくてしょうがない。マンガを翻訳して世界に普及させようというとき、セリフのレイアウトをどうするかというのが大きな問題になるようだ。そこはマンガによって、というか出版社によってまちまちである。

 

もうひとつ、本を読むときに左にあるページを右に繰るというのも珍しい。そもそもこれは右上から左下にかけて読む習慣によるものだが、ほかの言語は左上から右下に向けて読み進めるものだ。これについては翻訳されたどのマンガでもそのままの体裁になっている気がする。

 

 

「お断り」

マンガについて、宗教について、言語について、その他そこまで詳しくない知識をもとに議論しております。至らぬ点がありましたらどうぞご寛恕ください。