【7月24~27日】
モンテネグロのポドゴリツァからボスニアのサラエボまでの200kmをヒッチハイクで移動しました。1日でいけるもんかな?日が沈んだらどっかでテント泊するかな?と思っていましたが、やってみると意外と簡単に捕まるもんですね。1日で3台を乗り継いでサラエボに到着できました。
ちなみに1台目の前にも停まってくれた車がありましたが、僕の近くに同じくヒッチしている現地人ファミリーがいたので譲りました。彼ら最初はロータリーの内側で止めようとしてましたけど、そんなところで車止まれないんだよなぁ。
1台目; ガソリンスタンドの店員をしてるらしい中年のおじさん。そこまで英語が堪能ではなかったけど「僕の月収300~350ユーロとかなんだよ、安すぎるよね」などという会話をした。道中でなんか有名な教会があったらしくて崖の上を指さしてくれるんだけど発見できず。ポドゴリツァから50kmほど離れたNiksicで下車。
2台目; Niksicで水を買ってから「うーん、この辺にでも立ってみるかな?」とガソリンスタンドの近くでヒッチ開始すると、10秒も経たないうちにゲット。男女4人がパーティーしている感じで、グーグル翻訳を使ってありがちな基本情報の交換。
もうすぐ国境というところでパトカーに止められて車内の雰囲気が凍り付いたけど、なんか言い訳をしてスルーしたっぽい。運転席と助手席の人がシートベルトをしてなかったので免許証と身分証を確認していた(のか?)。ちなみに速度超過だと罰金というか賄賂で30ユーロほどを科せられる(要求される)らしく、ヨーロッパとはいえ南部はアジアっぽい。彼らは国境の手前にあるキャンプ場に行くらしく、イミグレの手前で下車。
3台目; 国境(写真↓)を越えた場所で新しい車を待つこと20分。一度通り過ぎた車がバックで戻ってきて乗せてくれた。なんかやけに高級そうなベンツで、どうやら父親と息子で食品の貿易会社を経営しているらしい。アルバニアからボスニアに主に野菜を輸出していて年度会計のためにボスニアに行くそうな。国境からサラエボまで90kmを乗せてくれた。
まぁ本当はもっといろいろ会話したけどこのくらいにしときます。
ヒッチ中はこれ以外特に写真は撮っていません。
ここからはサラエボについて。
3台目で降ろされたのはサラエボの郊外で、のどかな田舎だしテント泊しようか迷いました。結局安い宿が休業していたのでここではないけど野宿し、市内には翌朝向かうことにしました。
広い駐車場の2辺なり3辺なりを集合住宅が囲んでいる光景。日本のニュータウンにありそう。
解放骨折。ってかそもそもコンクリと木材って相性が悪そう。
中学生のときこんなシャーペン使ってましたね。
サラエボの都市構造はウランバートルとかなり似ています。東西に広がっていて、中央に政府機関やショッピングモール、東に安宿や裏路地がある感じで、西はそこまで歩いてて楽しくないです。
その中央部。
サラエボ事件の舞台「ラテン橋」ですね。実際に皇帝夫妻が襲われたのは写真左端の、橋を右岸(北)に渡り終わってから通りに合流するまでの曲がり角だそうですが、ご覧のようにツアー客は橋の左岸に集まって川を見下ろしています。聞き取れなかったんですが何なんでしょう。
にしてもよく晴れてて暑いです。
と思いきや突然の豪雨。
雨のためサラエボからクロアチアのザグレブまでは夜行バスで移動することにしました。出発前にライブをしているのを発見。これまでライブとかコンサートとかと縁のない人生でしたが良いもんですね。
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