【7月12~15日】
さて、コソボですね。いろいろ興味が沸いたので復学したらユーゴスラビアについての講義を取ってしっかり勉強しようと思います。
ちなみにコソボ紛争について分かりやすく説明しているサイトがありました。
すごく簡単にまとめると、キリスト教セルビア人とイスラム教アルバニア人の衝突です。コソボを統治していたセルビアが民族浄化を掲げてアルバニア人を迫害したため、国際社会はセルビアを非難してNATOが介入するまでになりました。特に戦闘が激しかったのは1998年と1999年、ほんの20年前のことです。
それでは写真をどうぞ。
(※コソボは国なのかという議論がありますが、まぁ実質イミグレがあったし通貨が違うし民族も違うしなので一般的にコソボは国としてカウントされるようです。)
セルビアからコソボに入ってすぐの場所。なんとなく「おぉ、外国人だ!」みたいな視線を感じます。
さっそくこんなものが。。。
Agrim RamadaniというUCK(コソボ解放軍)の指導者の1人だそうです。KATANAが何なのかは不明。
コソボの首都プリシュティナまでの道。走りにくいけど仕方ないですね。
この湖を超えた丘の向こうがプリシュティナ。
到着。ほんの20年前にここが激戦地だったとは想像できません。
が、爪痕は残っています。ちなみアルバニアの国旗に加えて星条旗とか国連の旗とかも見かけたけど、コソボの国旗はほとんど見かけてないです。
プリシュティナには2泊しました。やや腐卵臭のする宿の卵でフレンチトーストを作ったけど、3日経ってもカンピロバクターは発症しなかったので結果オーライです。
未舗装区間が多いですが、逆にまだラインすら引かれていないような真新しい道路も多いです。誕生間もない国という感じ。
久しぶりのアザーンが聞こえてきました。
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