10月2日に世界一周を終了して帰国しました。
10月3日からだいたい京都にいて、色々わちゃわちゃしていました。3連休中にいくつか進捗があってようやく一段落したところです。
この秋から復学しようかと思っていたんですが、どうやら9月中に済ませてないといけなかった手続きがあったらしく、まぁやっておらず、休学期間続行ということになりました。
希望すれば半年後からも復学できるんですが、3月もそれ以降もいくつかやりたいことがあるので復学はしません。来年の秋までもう1年の使い方については追々まとめることにします。
ということで今回は「世界一周のまとめ」です。
ルート
すべての国や都市についてブログで記事にしたわけではないので、まずはルートの説明から。
2018年9月18日に神戸港を出発し、9月20日に上海港に到着。
香港、マニラ、コタキナバル、バンダリスリブガワン(ブルネイ)、ジャカルタ、という順番で東南アジアの島々を飛行機とバスでつないでいきました。基本的に滞在したのは首都ばっかりです。のちにフィリピンの無人島でサバイバルをやっていた日本人学生の話を聞き、やっておけばよかったと思いました。そのうちやります。
10月31日にシンガポールに上陸、そこからはずっと鉄道やバスで北上していきました。誕生日の11月25日にマレーシアからタイに入国。正月はラオスのバンビエンで迎えました。1月25日に昆明から台北、1月29日に台北から那覇に移動。
沖縄に行ったのは「台湾のすぐ隣にあるから」「沖縄に行ったことないから」「クレカの付帯保険が切れたから」「後輩が琉球大学に通ってるから」が理由です。まぁ観光です。
2月中旬から下旬のめちゃくちゃ寒いときに、釜山やら北京やら平壌やらウランバートルやらに行きました。やはりめちゃくちゃ寒かったです。特にモンゴルに行くなら圧倒的に夏をオススメします。
北朝鮮ツアーはタイやラオスにいるときにいろいろ下調べをして、1月中旬にベトナムにいるときにYPTという旅行会社に申し込みました。この決済はpaypalだったんですが、その前後でどうやらフィッシング?に遭ったらしく、クレカの番号が流出したということで停止を食らいましたが、沖縄でクレカを再発行して解決しました。ツアー会社も真っ当なものでした。1年の世界一周でトラブルといえばこのくらいです。被害額は0でした。
北京からウルムチまで31時間の列車移動。ウルムチでは宿が見つからず、5つ星ホテルで1泊してからさっさと中央アジアに脱出しました。
この旅最大の目的、シルクロード。
とはいえ大都市はどこも近代化していて正直がっかりしました。そりゃそうでしょうね。
トルクメニスタンだけは1980年代で時間が止まっているかのような、かなり前時代的な社会で面白かったです。
そもそも中央アジアはどの国どの地域もやっぱり独自のカルチャーがあって、今思い返してみても楽しかったなぁと思います。もしこの世界一周が1本の映画で、もし1回だけ巻き戻してどこかを再生できるなら、中央アジアをもう1回鑑賞したいです。
ってかチケットを買えばまた行けますね。そのうち行きます。
ちなみに人種差別は中央アジアが1番きつかったです。特に中国人差別のとばっちり。あとみんな現地語の次にロシア語を習得するため、英語はあまり使えませんでした。まぁそういう難しさがたまらないんですよ。
警察は腐敗していましたが、治安はいいです。
イランを抜けてアゼルバイジャンやジョージアでリラックスしたのも束の間、一気にトルコを横断してイスタンブールに到着しました。もともと1年半の予定で旅をしていたんですが、イランで「やっぱり1年で終わりにしよう」と決断しまして、そこからは随分と駆け足になりました。
イスタンブールで自転車やテントを購入。気温40℃のなか朝から夕方までずっと走っていたら何度か体調を崩しましたが、合計で1300kmほど走破しました。最後は自転車が壊れたので終了。
モンテネグロの首都ポドゴリツァからボスニアの首都サラエボまではヒッチハイクで移動しましたが、「面倒だな」と思ったのでそれ以降はバスに乗ることにしました。
移動スピードが格段に上がったので、行く予定はなかった北欧や東欧も周遊しました。アメリカビザの面接が想定していたよりかなり遅い日程になってしまい、イギリスには戻れずハンガリー止まりになりました。留学中の友人たちに再会できなかったのはとても残念です。
「イランや北朝鮮の渡航歴がある人間が9月11日の直前にニューヨークに入ったら絶対怪しまれるだろ」と思ってわざわざ9月12日にアメリカに入国したんですが、なんとイミグレの職員が英語ノンネイティブの中国系の方で、ろくに質問もされずあっさりと入国できました。
アメリカは何から何までぼったくり価格でしたが、宿泊はカウチサーフィン、食事はピザor我慢、移動はグレイハウンドのバスでなんとか耐えました。商品もサービスも何から何まで資本主義の塊みたいな国だったので、正直アメリカにはもう行きたくないです。
そこから最後の滞在地キューバ。ネットが有料だったので1週間使わず、韓国人日本人宿にていろんな人と話していました。そこからパナマ・サンフランシスコ・香港のトランジットを経て帰国。香港ではデモをやっていたので最前線まで歩いてみました。
支出と内訳
あんまこれを公開しているバックパッカーっていない気がします。まぁ僕もそこまで公開はしたくないですが、けっこう参考になると思うのでどうぞ。
期間 390日(京都出発~京都帰着まで)
総計 125万円
非生活費 35-40万円
フライト・フェリーのチケット 26万円
ビザ・保険・パスポート切替 4万円
自転車・付属品・テント 4万円
服などの雑貨
北朝鮮ツアー 10万円
生活費 75-80万円
食費+宿泊費+陸上移動費で2000円×390日ぐらい。感覚としてはだいたい食費800円、宿泊費900円、残りは移動費くらいの割合。
だいぶ我慢したし、だいぶ無理したし、だいぶチャンスを逃したなと思いますが、削ろうと思えばここからさらに宿泊費とかを削れます。でも削らない方がいいです。運が悪いと命を失うことになります。
390日のうち、空港泊とか夜行バスみたいな移動泊は33回、カウチサーフィンのようなホームステイは19回、野宿は14回しました。合計で66泊(17%)はタダで夜を明かしたことになります。
お気に入りの国
僕がこれまで行ったことのある国をオレンジで塗っています。66くらいあります。今回行ったのはそのうち52です。(※「渡航」「国」の基準によってプラスマイナス2くらい増減します)
ちなみに世界一周の出発前に「終わったあと好きになってるだろうなランキング」を作ってみたら、
1位ジョージア
2位ネパール
3位中国とインド(同点)
こんな感じだったんですが、いざ行ってみるとこの順位とはだいぶ違う結果になりました。
それでは3位から。
3位
これはどこでしょう。
インド?
いいえ、その隣のバングラデシュです。
まさかのバングラデシュが3位にランクイン。
行ったのは2回生の前期なので2年以上前です。イギリス留学よりも前です。
当時は「インドのついで」みたいに思っていましたが、今振り返って考えてみると
「人口密度がめちゃくちゃ高い」
「物価めちゃくちゃ安い」
「英語がそれなりに通じる」
「人々がふつーに優しい(※なお比較対象はインド)」
「とにかくエネルギッシュ」
こんな国が面白くないわけがないですよね。
だけど僕はまだ中南米にあまり行ってないので、この3位の座は交代の可能性がけっこうあります。ちなみにインドの隣国ネパールも好きですが、2位と雰囲気が被ることもあって除きました。
2位
ラオス。
ラオスってどこにあるかご存知ですかね。東南アジアの半島部分のど真ん中にあります。タイ、カンボジア、ベトナム、中国、ミャンマーと接しています。
いろんな文化圏のはざまに位置しているため、いろんな人やモノやカルチャーが流れ込んできます。その一方で自国のアイデンティティーの確立も行われています。僕はそもそも旅をするとき「異なるモノがどう混じり合っているか」に注目しているんですが、ここラオスの混じり合い方はけっこう好きです。
例えばラオスでは英語も中国語に加えて韓国語が使われていますが、もちろん現地のラオ語だってちゃんと残っています。ラオ語はタイ語とかなり似ていますが、方言レベルではなくいちおう別の言語です。
まぁそういう小難しい話は抜きにしても、ラオスの田舎に行けばずいぶんのんびりしていていいものです。レンタルバイクがあちこちにあるし、道は半分くらい未舗装だから逆にみんなスピード出さなくて安全だし、ちょっした山道があちこちにあるし、ガソリンに限らず物価が安いし、そりゃ好きになりますよ。
ちなみに最近中国資本がずいぶん進出してきてて残念な反面、ラオスは食のバリエーションが乏しいのでそのへんに革新が生まれるか期待ですね。
(※「食」に関してなら中国がダントツの1位ですが、中国はデカすぎるからちょっとアンフェアな気がしてランキング対象外みたいな扱いになっています)
1位
さて、1位はどこの国でしょう。写真から想像してみてください。
トルコ?
うん、あの国もよかったんですが、僕が貧乏すぎるせいで満喫できませんでした。
もっと物価が安い国です。
ジョージア?
いい線いってますが、僕にはあの国は刺さりませんでした。
おっと、ここでマニアックな方から正解の声が聞こえてきましたね。そう、中央アジアのキルギスです。
正直、不動の1位の気がします。
ジョージアが気に入って沈没する日本人は多いですが、僕としてはキルギスのほうが断然居心地がいいです。パスポートの切替発給という大義名分はありましたが、にしてもビシュケクに1ヶ月いて「もっと長居したいなぁ」と思ってしまうあたり、がっちり心をつかまれた感じですね。
何がそんなにいいのか、ちょっと箇条書きにしてみました。
・「中央アジアの優等生」
中国からカザフスタンに到着したとき「おぉ、これが中央アジアか!全然文化が違うな!」と思いました。ほかの中央アジアの国々は数日いるとどこか退屈になったり、ソ連の色合いが強すぎて店や公園や街並みが微妙だったりするんですが、キルギスはなかでも民主的国家なので雰囲気が明るく開放的です。ちなみにビザ免除の日数は60日間ですが、日帰りでカザフとの国境までピストンできます。なので実質ビザは無制限です。これをビザランといいます。
・メシが安くてうまい。
これ、めっちゃデカいです。胃袋をつかまれたら逃げれません。中華料理ともロシア料理とも中東料理とも違う、それでいて影響は受けている、ラグマンとかマントゥとかケバブとかスパイス料理とかがあります。値段は軽めに食べて300円くらい、普通に食べて400-600円くらい。うっかりオシャレなレストランに入っても1000円を超えることはないので安心です。ゆるふわイスラム教なので探せばお酒が見つかりますが、みんな代わりにシーシャを吸っているようです。
・人々
やっぱこれも大きいですね。さすがシルクロードなだけあって、アジア系、スラブ系、アラブ系の人々が混じり合っています。歴史的に中国と国境問題を抱えているために根強い中国人差別がありますが、それを除けば基本的にみんな優しいです。それから
「昔々、キルギス人と日本人は同じ民族だった。魚が好きな人々は日本に渡り、肉が好きな人々はキルギスに来た」
なんて言い回しがあるくらい、顔立ちが日本人と似ています。顔立ちだけじゃなく、性格というか国民性もちょっと似ている気がします。
(初対面だとちょっと冷たいかもしれませんが、むしろそれはそれで良いです)
・言語
基本的にみんなロシア語を使っていますが、キルギス語もあります。東側に行くと中国語も通じるみたいです。英語は通じないので不便といえば不便ですが、まぁ僕がロシア語を勉強すればいいだけの話です。むしろその不便さのお陰で観光客に踏み荒らされていない感がありますね。なんとなくキルギスに来ている観光客はみんな温厚な気がします。山に登りに来ているからかな?
・大自然
そう、キルギスには7000m近い高山がごろごろあります。今回は装備もなかったしまだ冬の終わりだったしなので登らなかったけど、次回はぜひ登りたいところです。それからこれも今回行けなかったけど、イシククル湖というのも有名です。
うーん、キルギスの良さってあんま写真では表現できないし、文章でも伝わり切っていない気がするので、気になる方は直接行って確認してみてください。
というか僕もまた今度行って移住先の物件とか仕事とかを探してきます。
それでは。