ヤマダイスキーの旅日記

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【最終章・軍事境界線へ】北朝鮮ツアーの記録 (2019年2月17日)

 


  

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長い長い平壌市内ツアーから一夜が明け、今日は軍事境界線に行く。

 


まずは平壌を出るときのタワーから。

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平壌とソウルは一本の幹線道路でつながっていて、このタワーは朝鮮半島の統一を目指す両国の人々を表しているらしい。

 

ただし実際にはこの幹線道路は戦争が再開したときにまっさきに封鎖されることになっていて、道の両側には数十キロおきに巨大なコンクリートのブロックが不安定な形で設置されていた。つっかえ棒やロープだけで支えられていて、いつでも落とせるor倒せるようにしているらしい。ほかにも軍の検問というか要塞がいくつもあったけど写真の撮影はもちろんダメ。

 

南北首脳会談のときには金正恩氏がこの道路をずーっと乗って国境まで移動したらしい。まぁ飛行機じゃなかったら車しかないか。

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平壌から国境まではほぼ荒れ地というか手つかずの自然になっているが、たまに住宅地もある。なんとなくここでテント張ってあちこちトレッキングしてみたいなぁと思った。

 

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ちなみに改めて地図で見てみるとソウルがいかに軍事境界線に近いか分かる。兵役に就いたことのある韓国人学生に何人か会ったことがあるけど、やっぱ身近な恐怖として感じていたな。「今度北朝鮮に行くんだ」みたいに言ったら "I hope you'll be safe...." みたいに返された。 

(独島という表記については突っ込まないでください)

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あとこの3枚の地図って歴史の教科書にも載ってたけど、何回見てもすごいなぁと思う。国境線が軍事力でここまで揺れ動くものか。

 

なおこの軍事境界線は南北2キロずつが緩衝地帯になっていて、英語ではDMZ【 DeMilitarized Zone 】と呼ばれている。「国境」"Border" という表現はあまり適切ではないようだ。まだ戦争は終わってないし。

 

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ここがまさに軍事境界ラインで、写真の手前が北朝鮮側、奥が韓国側。よく見ると青い建物3棟のちょうど真ん中をコンクリートの線が横切っているのが分かると思う。

 

いちおう真ん中の建物を北朝鮮が管理し、両側の建物を韓国が管理しているそうだ。そしてそれぞれの建物には南北にドアがついていて、普段は相手側のドアを閉め切っているらしい。

 

あと南北関係が緊張してくるとこの建物に宿営する兵士の数が増えて、時には文字通り南北の兵士がにらみ合うこともあるんだとか。

 

10年前くらいに韓国側からここに来たことがある人によると、その時はもう緊張がすごくて空気がピリピリしていたらしい。

 

いや、このときもだいぶ空気がピリピリしていた。というか咳払いをしただけでも響きそうなくらいシーンと静まり返っていた。

 

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休戦協定がこの机でサインされたらしい。実質はアメリカ軍なんだけど建前としては国連の名前を使っていて、机の上にも国連の旗が掲げられている。いやらしい。

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いろいろ写真だとか武器だとかが展示されているが、博物館というにはあまりに簡素というか暫定的な感じ。

 

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DMZにはあまり長居はできず、近くの田舎の村みたいな場所に移動した。

ここには孔子廟のようなものがあり、展示の半分くらいは漢字で書かれていた。山東省とはまた少し雰囲気が違う。

朝鮮半島にはもちろん戦争以外にもこういう歴史だってあるんだけど、まだDMZの興奮というか緊張が冷めやらなかったのであまり詳しくは見ていない。

 

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気づけばもう昼過ぎでだいぶお腹もすいていた。

ここではいつもの中華テーブルとは違い、小皿がたくさんある朝鮮式。あと写真は狗肉のスープ。食感としては豚肉に似ているが、ややラムのような臭みもある。オプションだったので別途で40元払った。

 

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平壌に戻る途中でまた別の田舎の街に寄る。

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ほかのツアー客がみんな地酒を飲んでいたので、僕はふらふら散歩してみる。

中国でよく見かけるようなボードゲームに興じる地元のおじさんたち。ただしギャンブルではないようだった。

 

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そして平壌に戻り、晩餐パーティー

もはやスマホの容量が尽きていたので短い動画しか撮れなかった。

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カンボジアや中国の北朝鮮レストランは「北レス」とも呼ばれるが、こういうショーが大きな特徴。こういうレストランで政府高官や国営企業重役の接待が行われるんだろうなと思うと怖い世界である。

 

翌朝、平壌市内の朝鮮戦争博物館を急いで見て回ってから駅に戻り、そのまま半日かけて中国に戻った。

 

ここも敷地内は写真撮影が禁止だが、内部は高級ホテルのような雰囲気でとても見ごたえがあった。ぜひ行ってみてほしい。

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なぜか車内では日本食がでた。なかなかにうまい。

 

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弾丸ツアーすぎてしばらく動けなかったかと思いきや、このあともウランバートルまでノンストップであった。モンゴル旅行記もお楽しみに。