「夢」「情熱」「未来」「喜び」「笑顔」
なるほど耳に響きよく目に優しいキーワードである。
が、これらのワードは多くの場合において嫌悪されがちである。少なくとも僕だったら
「夢の世界一周!貧しい人たちに喜びと笑顔を届けたい!」
なんて人がいたらフッと笑って「ああやってるよ」と思ってページを離れる。
すまないが応援はしない。したくならない。
こんなことを言ったら
「なんで頑張っている人を応援しないの!?だから日本人はみんなやる気をなくすんだよ!出る杭を打たないで!」
なんて批判が飛んできそうだ。
しかしその批判は見当はずれである。僕は基本的に頑張っている人を応援する。たぶんそんじょそこらの人よりよっぽど応援していると思う。
もちろん僕はまだ貧乏学生なので「はい、じゃあ100万円あげるから頑張ってね」みたいなことはできない。べつに自分に資本ができてもそういう応援の仕方はしないつもりだけど、とにかく今は金銭的な支援はできない。
ただ僕の持っている情報や人脈や経験で役に立ちそうなものがあれば喜んで提供するし、僕が持っていなくても誰かが持っているかもしれないなら喜んでSNSとかで共有する。今の僕にできる応援なんてそのくらいしかない気がする。本当に微力で情けない。
しかし、最初に述べたようなただキラキラしているだけのプロジェクトは本当に微力程度の応援すらしたくない。いやさすがに否定とかそんなことはしないけど、簡単に言うと「スルー」。もしくは「せっかくこんなに情熱あふれてるんだから、もっと計画や目的をブラッシュアップすればもっと成果が伸びるのに」と思う。そしてこの気持ちは僕に限らず、多くの人が同じようなことを思っているのではないか。
それでも一部の人は応援してくれるもので
「目標を共有してくれる人がいてよかった!だけど多くの人ってやっぱり無関心というか応援してくれないもんだね。こんな日本社会いやだ!」
なんていう人たちでコミュニティーを作りがちである。
なるほど、確かにどんなプロジェクトでもまったく応援しないゾンビみたいな日本人は多いし、そういう廃墟みたいにエネルギーの枯渇した社会は僕もイヤである。
ただ、応援されるものは多くの人にきちんと支持されるもので、その判断は意外に公平になされるものだと思っている。
僕が応援するプロジェクトと応援しないプロジェクトの違いは何だろうか。
どちらも情熱にあふれていてキラキラしている。どちらも応援してもらいたがっていて、そのために努力しているので、輝いているのは当たり前かもしれない。
しかし一方では味方を増やし、もう一方では観客すら増やせない。
この違いは「専門性」と「収益性」かもしれない。
ここはやや言葉のチョイスに苦しむところだけど、この「専門性」は一般的に「個性」と置き換えられることが多い。ただし「専門性」の方がより意味が狭い。
学問の専門性、職業の専門性、芸術の専門性。
「個性」とは「他者にはない特徴的なもの」、つまり相対的な違い。
「専門性」とは「その分野において顕著に秀でていること」、つまり絶対的。
個性的になりたがっているなら他者とは違うことをしていけばよい。しかし個性的であるからといって専門的であるとは限らない。逆に専門性はすべて個性になる。
「個性的になりたい」という感情は多くの人に共通するものであるが、その浅薄な感情のままで個性化しようとしてもせいぜい「個性化したがっていたが没個性化した人たち」が生まれるだけ。
「収益性」とはなにもお金に限らない。
「それは本当に社会を変革するのか」
「それは本当に計画通りに達成できるのか」
「自己満足で終わるだけじゃないのか」
投資をする以上はリターンを求めて当然だと思うし、お金を出されるということは口も出されるということだと思っている。リターンが不十分だったり不確実だったら、賢明な投資家は手を引くことだろう。
専門性と収益性。
ちなみに僕の世界一周にはこの専門性や収益性はあるだろうか。
僕の専門性としては「政治と宗教」「登山と鉄道」「言語と食文化」。こんな候補が挙げられるが、どれも弱い。
収益性。僕はべつに自分は旅をしているくらいで社会は変わらないと思っている。そのくらいで社会問題が解決してくれるなら誰も苦労しない。
つまり僕のこの旅には専門性も収益性もない。
が、そもそも僕は誰かに応援してもらおうとは思っていない。
自分のお金だし、自分の時間だし、自分がやりたいようにやろうと思っている。自己満足で十分。もし将来的にこれが専門性や収益性に結びつくことがあれば、それは嬉しいことだけどあくまでプラスアルファだと思っている。
だから他者を応援する余力があるならば、僕なんかじゃなくてもっといい投資先があるはず。
そうずっと思っていたんだが、なかなかそういう投資先は見つからないもの。
というところで見つけたのがこのクラウドファンディング。僕もかつて利用したことのあるReadyForなのは少し懐かしい。クラファンというのは最初のスタートダッシュがとても大事なのもので、ちょうど今日から支援スタートらしい。
「トビタテ生が運営するシェアハウス、第2弾」
そもそもトビタテ生というのは単なる留学経験者の集まりなんかではなく、それぞれの専門性を持ち寄って「コレクティブ・ジーニャス」として日本社会に貢献しようという集団である。
その収益性を見込んで政府・民間企業・高校/大学が期間限定で投資をしてみるというプロジェクト。本当に結果を出せるかどうかはまだ20年くらいしないと分からないが、でもこれで結果にならなかったら他に何をしても同じだろう。
このシェアハウスには僕は行ったことがないし、行こうにもあと1年は帰国しないのですぐには行けないが、とても興味がある。近未来の学校ってこんなものかもしれない。
このブログの読者は僕と同じような貧乏学生ばかりなので、たいして購入してくれるとは思っていない。
だけど少なくとも言えることは「こういうプロジェクトもちゃんと存在してるんだよ」ということ、あとは「トビタテ生じゃなくても歓迎らしいからヒマがあったら門を叩いてみて」ということ。
共感していただけたら、ぜひ応援してください。