ヤマダ=イスキーの旅日記

京大に2年間の休学届を出して世界一周しています。

なぜ人は旅に出るのか。なぜ僕は旅に出ているのか。旅には成功と失敗はあるのか。

どうもここ数日ちょっと考え事をすることが多いです。

 

というか海外にいるときって間違いなく日本にいるときより他人と話さないし、あちこち散歩していると1人で考え込む機会が多くなります。いいことなんですが。

 

で、特によく考えるテーマが「そもそも僕はなんで世界一周に出ているのか」っていうことです。もっと一般化すると「僕はなんで旅が好きなのか。どんな旅をしていきたいのか。この旅を今後どのように活かしていくのか」ということです。

 

結論から言うと

旅に出ると考えるトピックが簡単に見つかるから。というか旅先では常に考えるネタを探していきたい。その後に活かせるものとしては「海外での体験談」というより「思考力」を重視したい。

ということです。

 

で、もうひとつ結論を言うと

旅先で起きた出来事には成功も失敗もないけど、「考えない旅」とか「その後に活かされない旅」は失敗である。

です。 

 

以下5000字を超える長文になりますが、それぞれについて説明していきます。

 

ただその前に、箇条書きにしてこの論考のポイントを改めて明示しておきましょう。

➀なぜ旅に出るのか

 →いろいろ考えることが見つかって楽しいから

➁旅に出ると何が変わるのか

 →「周囲の人間」と「景色や食べ物など非生物的な環境」

➂旅は終わってからどう活かしていくべきか

 →説明的なエピソードを語るのではなく、その時に何を考えて何を学んだのかという思考プロセスを応用していくべき

④どんな旅が理想なのか

 →深く考えることがあればあるほど旅の価値は高まる。逆にアタマを使う必要のない旅は時間とお金のムダ

 

旅に出ると考えるトピックが簡単に見つかるから。というか旅先では常に考えるネタを探していきたい。その後に活かせるものとしては「海外での体験談」というより「思考力」を重視したい。

 

考えるトピックというのはどこの国にいても見つかるものかもしれません。僕自身日本でもいろいろ考え事をします。新聞をパラパラ読んでいればディスカッションできそうなテーマなんて10や20は簡単に見つかるし、京都を歩いてたら歴史や宗教や文化についていやおうなく考えさせられます。

 

そもそも海外に出ないと社会の不平等に気づけないなんて視野が狭すぎます。「カンボジアに行って貧しい人に会って衝撃を受けて人生が変わりました」なんて言っている人は、そのセリフが過去の自分の浅はかさを認めているっていうことをちゃんと理解しているのでしょうか。日本に存在する不平等には衝撃を受けないんでしょうか。

 

ただ海外にいると、確かにそれらの諸現象がありありと目に見えてくるってことは否定できません。そもそも人間が考え事をするきっかけというのは「違いに気付くこと」なのでしょう。逆にいうと「いつもと同じ」だと思った時点で思考回路を動かす必要性はなくなります。動物というのは「変化に対応すること」はよくやりますが、「いつもやっていること」には意識を払わないものです。それはエネルギーの無駄だし、進化上もっともなことです。

 

言うまでもないことですが、外国での暮らしでは日本と違うことだらけです。何がどの程度違うのかというのはいちいち例を挙げていくまでもなく、海外に行った多くの人が発信しているすべてのことです。社会構造や文化や習慣や言語やその他あらゆることです。外国に行くということは、これらすべてのトピックについて考えを巡らせること、少なくとも違いを感じることです。

 

ただ繰り返しになりますが、この「違い」というのは日本国内でも発生します。住所が北海道から京都に移った時とか、受験を経て高校から大学に移った時とか、新しいゼミやサークルに入った時などがそうです。もっと日常的なスケールで言うと、「普段はうす塩のポテチを食べてるけどカレー味のポテチが期間限定で販売されてて食べてみたらめちゃくちゃ美味しかった」とか、その程度の「違い」でもけっこうです。

 

ここで、あえてこれら環境の変化を分類してみると「地理的な変化」「生活スタイルの変化」「人間関係の変化」とかになるでしょうか。ちょっとネーミングセンスに欠けてる気がするけど、もっとざっくり言うと自分の変化、他人の変化、非生物的な変化の3つのことです。

 

で、外国というのは「他人の変化」と「非生物的な変化」というものを簡単に提供してくれます。当たり前のようだけど、実際そうです。歩いているのはほとんど外国人だし、というか自分自身が外国人になってるわけです。食べるものは日本食レストランでさえ味付けが違うし、住む場所だって自宅ではないわけです。

 

もちろん「外国」と言っても例えば「韓国」と「ソマリア」では日本との近縁性に強弱があることでしょう。地理的な距離の違いというのはすごく重要な違いで、なぜなら文化や歴史や人種や言語の違いのそもそもの原因になるからです。

 

「アフリカの問題はどこか遠い国のことの話」というのは、賛同するとか否定するとかは置いておいて一理あると思います。たしかに日本とソマリアでは文化風習やら政治体制やら気候風土やら、いろいろな違いがあることでしょう。ソマリアの問題を考える時には、それらの前提条件をしっかり理解する必要があります。

 

逆に東アジアの問題であれば、情報量の違いという以前に「考察の前提となる条件」がある程度は共有できているので、スムーズに考察に入ることができることでしょう。

 

ただ「日本と違うことが多い国」と「日本と同じことが多い国」に行った時を比べて、どちらの方が考えるトピックを発見しやすいのかというと、必ずしも「日本と違うことが多い国」ではないのではないかというのが暫定的な結論です。どっちに行っても結局は同じくらいに違いに気づくものだし、もしかしたらそれぞれの国に潜在しているトピック数は同じもしくは無数なんだけど、旅行者の「違いに気づく能力」によって規定されるのかもしれないです。素人バックパッカーより大学で比較人類学をやっている教授の方がいろいろ気づことが多いことでしょう。まあこれについてはもう少し考えてみることにします。

 

話が分かりにくくなってきたので元に戻って整理しましょう。

何がどの程度違うのかは置いといて、とにかく外国に行けば「人間関係」と「非生物的な環境」が変わります。だから日本よりトピックが発見しやすいわけです。

 

またあとでも述べますが、「海外での体験談」というのは「トピックそのもの」のこと、「思考力」というのは「トピックについて考えるプロセス」のことです。この2つはまったくの別物です。前者は「描写」というか「叙述」なんですが、後者は「考察」とか「論述」とかです。エッセーと評論の違いです。

 

個人的に重視したいのは後者の「考察力」なんですが、ただ「エッセー力」というのも立派な能力であり、あるに越したことはないでしょう。

 

 

 

旅先で起きた出来事には成功も失敗もないけど、「考えない旅」とか「その後に活かされない旅」は失敗である。

 

豊かな人生に必要不可欠なものが3つあります。時間と体力と資金です。

 

旅を順調にしていくために必要なのもその3つです。

 

ただ、逆にその3つがすべて揃ってしまうと旅はつまらなくなります。つまり時間がたくさんあって資金も潤沢で若くで元気があると、やりたいことを何でもできてしまうのです。羨ましいようでいて、苦労しないというのは考え事をする必要がないということでもあります。それは僕が理想とする旅ではありません。

 

お金がないなら10kmでも20kmでも歩くし、そんなに歩いている時間がないならヒッチハイクをするし、そんなに歩く体力はないけど時間があるならしばらく休むし、というように選択肢を考えつくわけで、制約というのはあったほうが乗り越えがいがあるものかもしれません。

 

しかし、では自らお金を捨てようとか、時間に制約を設けようとか思うかというとそんなことはありません。トラブルをお金で解決できるならしますし、ある程度の時間の余裕がないとチャンスを逃すことになりがちだし、夜はしっかり寝て体力を回復したいし、つまり揃えられるものなら3要素すべて揃えたいものです。

 

この「旅の順調さ」と「旅における刺激」をいかに両立していくかというジレンマも、最近考えるテーマの1つです。

 

これについての結論は

トラブルやアクシデントは完全に排除しても構わないが、その代用として「マイルール」を決めることで安全に刺激を得られる。

ということです。いかに安全に刺激を得るか、というのはまた面白い心理です。

 

旅にマイルールを決める人はけっこういます。「移動はバスだけ/鉄道だけ」とか「自転車で大陸を横断する」とか「あらゆる地酒を飲む」とか「フリーハグしながら」とか「ネットで稼ぎながら」とか「水質調査しながら」とか「アイセックの事務所を巡礼する」とか「コインや紙幣をコレクトする」とか、挙げようと思えばいくらでも思いつきます。

 

僕自身もそれについては色々考えたんですが、結局世界一周を通じた一貫したマイルールは決められないまま出発してしまいました。「ヨーロッパはバイクで回る」とか「アジアは大学卒業までにアフガニスタン以外すべて行く」とか「アフリカと北米はほぼノータッチ」とか「WiFiが安定していたら翻訳とかのオンライン業務しながら」とか「登れる山には積極的に登る」とか、いろいろエリアごとにテーマは決めてるわけですが、残念なことに一貫性がないです。弱いです。

 

まあとにかく、これらのマイルールというのは基本的に「困難」ではあるけど「危険」ではないわけです。リスクを多少上げそうな選択肢があるにはありますが、大事なのは「リスクを完全に排除しようと努力しても、その行為がまったく旅の刺激を損しない」ということです。ジレンマ解消ですね。めでたしめでたし。

 

 

ということで終わってもいいんですが、実はこの段階ではまだ2つほど説明が不十分なことがあります。

 

1つは「リスクを積極的に取っていく旅は僕にとって理想になりうるか」ということ、もう1つも似ているのですが「トラブルに巻き込まれた旅行者の経験値と、トラブルを完全に回避した旅行者の経験値は比較するとどうなのか」ということです。

 

1点目について、ナイロビ観光を例に挙げて説明します。

 

そもそも前提として「特にマイルールはなく、適当に観光を楽しむタイプのバックパッカーがナイロビにいる」としましょう。

 

このとき➀「スラム街ってスリル満点で面白そうじゃん、ちょっと夕方だけど今から歩いて行ってみよ」みたいな行動が「リスクを積極的に取っていく旅」です。

次に➁「スラム街に行ったら学ぶことが多そうだな。現地ツアーに申し込んでガイドと一緒に行ってみよう」いうのを「リスクを排除しようと努力していく旅」とします。

そして➂「スラム街とかめっちゃ危なそうじゃん。ナイロビのホテルでフロントのおっちゃんに話だけ聞くわ」というのが「リスクを完全に排除したために刺激のなくなった旅」です。

 

で、僕が理想とするべきなのはどのタイプなのかというのがここでの問題です。個人的には全部アリだと考えていますし、実際にバックパッカーにはそれぞれのタイプが存在することでしょう。

 

この判断をする時の基準こそが、上の方で議論した「そもそも僕は何のために旅をしているのか」ということです。つまりめちゃくちゃ簡単にまとめると「考えるために旅をしている」わけです。なので上の3つの選択肢のうち、一番考えさせられるものを選択するというのが答えになります。ということなら➀になりそうです。

 

ですが、本能的というか性格的に僕は➀を選択しないです。ですが、同時に僕はガイドと同一行動を取るのがめちゃくちゃ嫌いだし、➂のように又聞きするのでも満足しないでしょう。おそらくは遠くの丘とかから眺めるとか、宿で同じ部屋になった人と3人くらいで行くとか、もしくは「スラム街なんて行くもんじゃないよ」と思うことにするか、などの選択をすることでしょう。スラム街出身の人に直接会うというのもアリです。

 

つまり「リスクを積極的に取っていく旅はしない」というのが僕の現時点での解答です。ただし、60歳や70歳になってもう死んでもいいかなとか思っていたら解答を変えるかもしれないです。

 

 

ということで2点目に移ります。ここでもさっきのナイロビのスラム街の例を出しましょう。

 

➀「ナイロビのスラム街に1人で乗り込んでさぁ。ナイフで脅されて財布出しちゃったけど、あとでなんか現金だけ抜かれて帰ってきたわwww」

➁「ナイロビにスラム街があってね。ツアーを申し込んで行ってみたけどガイドとか他のツアー客とかがいて危ないとかは思わなかったわ。でもちょっと距離感があったね」

 

という2人がいたとき、どっちが「経験豊かで強そうなバックパッカー」だと思うでしょうか。これは単純ではありません。というか僕にはまだ解答がありません。

 

ですが斜め上の解答を出すのであれば、「そもそも強そうなバックパッカーになる必要があるのか」と言うでしょう。何度も繰り返すようですが、バックパッカーとは深く考えることが大事であり、別に危ない局面に突っ込んで生還したからといって賞賛されるものではないというのが僕のスタンスです。なので➀にせよ➁にせよ、僕がすごいと思うのは「ナイロビのスラム街について経験をもとに考察をして、なにかしら得るものがあったほう」ということになります。両方かもしれません。

 

でも➀みたいな行動を取らなくても旅は充分に刺激的になりうるし、そういうのが「リスクを排除しても旅の刺激が減らない」ということです。このジレンマというのは簡単には解消できない運命なのかもしれないですね。

 

 

とりあえず現段階で考えられることは以上です。思ったより長文になりましたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。ちょっと散歩してきます。