ヤマダ=イスキーの旅日記

9月下旬から2年間世界一周します。復学したら就職までの1年半に英検一級/気象予報士試験/漢検準一級/中検3級/仏検3級を取ります。あと中古バイクを購入して日本中の山に登りまくります。

【留学談④】思考回路の変化について

思考の変質には二種類ある。ぴったりくる名称を思いつかないから、とりあえずここではソフトウェア的変質とハードウェア的変質と呼んでおく。内部変質と外殻変質とも言えるかもしれないし、もっと説明的に「何を考えるのかの変化」と「どう考えるのかの変化」と述べた方が理解しやすいかもしれない。

 

さて、ソフトウェア的変質とはおそらく一般的に捉えられている思考の変化である。それまで眼中になかったことを何かのきっかけで知ることがあり、それ以降ずっと別の視点でモノゴトを考えることができるようになるという変化である。これはしかし、自分側の視点が変わることでもあれば、同時に見ている被写体側の変化でもある。もっとも人間とは頭を動かせば見える景色が変わるものであるから、見る場所を変えると見えるものも変わるというのは至って自然なことであろう。

 

これに対して、ハードウェア的変質はなかなか起こりにくいのではないだろうか。そもそもこの変質とは思考回路の根本的なパラダイムシフトを意味していて、頻繁に起こってはならないものかもしれない。これがどういうきっかけで起きるのかはよく知らないが、考え方の変革というのは、他人のまったく新しくて強烈で、時には攻撃的であったり破壊的であったりすらするほどの思考回路に接した時に起きそうなものである。前衛的な人間たちがもてはやされるのは、彼ら彼女らが大衆の思考回路そのものを覆すものと期待されているからであろう。

 

「視点の変化」と「見方の変化」という概念の違いが分かりにくいかもしれないから、ここで登山を例に説明しよう。前者の「視点の変化」というのは非常に分かりやすい。登れば登るだけ麓が低くかつ遠くなり、逆に遠くまでよく見えるあの現象のことだ。森林限界を超えた途端に今まで見えていなかった眺望が一気に開けるというのもそうである。

 

対して「見方の変化」が登山にはどう当てはまるだろうか。これは例えば右手を骨折した時に「これまでは気が付かなかったけども実は登山中に右手を使うことはけっこうあるものだ」と思うことだったり、ふと図鑑というものを読んでみたあとに「これまではまったく興味がなかった草花が目に入るようになった」ということだったり、「登る山について下調べしておいたことで山が個性化し、より印象深い登山になった」ということだったりする。しかしさらに言うならば、この「見方の変化」にも浅くて部分的な変質と深くて根底的な変質がありそうだ。登山の例をここでも使うならば、「これまでは眺望なり食事なり植生なりを楽しんでいたけど、もはや何にも楽しさを見出せなくなった」とか、「日本の山にはもう飽きたから海外の6000m級の山にばっかり挑むようになった」とか、「垂直主義アルピニストから水平主義バックパッカーに変身した」というような例が比較的深い変質である。

 

 

ソフトウェア的変質とハードウェア的変質、すなわち「視点の変化」と「見方の変化」のうち、より重要なのはどちらだろうか。それとも比較することは不可能なのだろうか。ここでは特に「留学」を例としよう。

 

僕の答えとしては「見方の変化」の方が重要である。というより、留学が終わった時には「見方に変化はあったか」と自問してみるし、そもそも留学を始める時には「これはいかに自分の思考回路を改造してくれるだろうか」と期待したものである。そもそもこれは留学に限らず、僕の基本的なポリシーみたいなものである。

 

しかし多くの場合において、留学経験者や留学担当者は「視点の変化」を強調してくる。それが一般的に言われる思考の変質であるからには仕方ないかもしれないし、そもそも「視点の変化」と「見方の変化」を峻別する必要なんて、ことさらこの記事みたいに比較しない限りないだろう。だけど言わせてもらうと「視点の変化」なんて簡単である。というのもそこで必要なのは単なる「移動」であり、異質な空間に身を置くだけで「違う視点」なんてものは容易に手に入る。日本とイギリスを比較できるようになったからといって特段素晴らしい業績ではない。

 

既に述べたようにハードウェア的変質の方が起こりにくい。そしてこれはハードウェアを改造する方が難しいということでもある。

 

僕には果たしてそんな変化があっただろうかと自問してみるのだが、特にこれといって該当しそうなものは思いつかない。強いて言うならば、随分と長い期間広漠とした牧草地帯に軟禁されていたことで、都市というものに強い執着を抱くようになったことだろうか。同時に寒くて暗くて風の強い冬を経験したことで、熱帯の強烈な日差しのありがたみを痛感したのもそうかもしれない。しかしどちらにせよ、個人的にはそこまで大きな変化ではないと思っている。日本に帰ってきても「意外に変わってないね」とよく言われるのだが、それはおそらく追及している変化の質が違うからではないか。

 

しかし、ではどういう経験が時には「大地震」とさえ形容されうるパラダイムシフトを惹き起こすのだろうか。そしてそのような規模の思考回路の変革が起こってしまうことは危険ではないのだろうか。これはちょっと分からない。分からないから次の旅に出る。