ヤマダイスキーの旅日記

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中学校が嫌いだった話

みなさんゴールデンウィークはどうだったでしょうか。

 

ふと「ゴールデン」じゃなくて「ゴールド」が文法的に正しいのでは?と思って調べてみたけど、ゴールド(形容詞)は「金Auのような」という意味なのに対してゴールデンは「金色の、金のように貴重な」という意味だったので、やはり「ゴールデンウィーク」が正しいようですね。

 

 

さて、今回の題は「日本の中学校が嫌いだった」ということについて。

 

小学生のときはとにかく楽しかったです。あんまり考え込むこととかなくて、今日の給食はなんだろうとか、さっさと放課後になって野球したいなとか、頭の中はそういうことばっかりでした。後述するけど授業スタイルも僕に合っていて、どのクラスにも積極的に参加していた気がします。今考えるとほぼ全科目を一人の先生が教えるのってすごく大変だなとは思うけど、でもそれだけ融通も利いていたんでしょう。正直授業で何をやっていたのかについてはよく覚えていないですが、、、

 

ところが中学校に入ってから授業が一気につまらなくなりました。実はこの頃から視力が落ちてきていて黒板の文字とかがあまり見えていなかったんだけど、授業放棄してたから黒板を見る必要があまりなくてそんなに不便していなかったとかそのレベルです。

 

何がつまらなかったのかというと、ずばり「教科書に書いてあることをそのまま教える」こと。そんなの自分で教科書読めば分かるんだから説明いらないよ、そのくらいそのままで理解できるんだから言い換えする必要ないよ、同じこと何度も説明されるとくどいからさっさと問題解かせてよ、などなど思っていました。

 

もちろんクラスにはいろいろな学力というか学習スタイルの人がいるから、全員が分かるような授業をするのが先生の仕事だというのは当時から理解していたけど、でもそれだったら「分かった人は勝手に次に進んでいいよ」というオプションも用意するべきじゃないか? そもそも30人以上いるクラスを10人ずつとかに分けたほうが進度設定がきめ細かくできるんじゃないか? と思うのは当然でしょう。でも先生としても全体のペースを一緒にしておいたほうがやりやすいし、クラスの規模を変えるなんてなかなかできないし、だからしょうがないかなと半分諦めてもいました。

 

 

画一的な授業進度に加えてもう一つ、授業スタイルも嫌いでした。日本の学校教育を特徴づける「先生が一方的に話して、生徒はずっと座って聞いているだけ」というのはADHDじゃなくても耐えられないでしょ。少なくとも全然楽しくないでしょ。

 

小学生の時はなんだかんだ授業中に「ちょっとみんなで黒板に書き出してみよう」とか「時間余ったから行きたい人はソーっとトイレ行ってきていいよ」とかで立ち歩くこともたびたび許されて、あとは中休みという素晴らしい時間も設けられていたから良かったです。小学生っていうのは多かれ少なかれ「走り回りたい欲求」というのをみんな持っていて、とりあえず走っておけば気が済みます。

 

あとは授業中に「これ分かる人~」という質問がたびたびあって、僕はけっこう分かることが多かったから発言する回数も多かったですし、グループに分かれて話し合ってから意見交換するというスタイルも好きでした。「どうしてそう思ったの?」という質問なんてまさに大好物でした。

 

が、中学生となるとそもいきません。授業中に立ち歩いてたらなんと言われるか分かったものじゃないし、制服ということもあって休み時間もそこまでハードな運動はできないし、グループで話し合いをすることなんてほぼ皆無だったし、授業中に先生が意見を求めることも珍しかったです。まあ普通の地方公立中学なんてどこもそんなもんでしょう。

 

ちなみに成績については問題なかったです。

 

いや成績がいいなら問題ないじゃんというのはある種の問題なんだけど、既に述べたように「教科書を読めば分かる」という場合は本当に分かってました。授業は確かにつまらなかったけど、まあ寝てたりボーっとしていれば時間が過ぎていったし、よっぽど声のデカい先生じゃない限り問題集とかはやってられたし本もよく読んでました(没収されたこともある)。あとは教室から抜け出しても行ける場所なんてないし、1回そういうことをしたら次からできなくなりそうだし、刹那的な逃避にはデメリットしかないと思っていたからフツーに座ってました。でも本音は30分が限界だった。

 

あと僕は塾には行ってませんでした。それ以降も行くことはなかったんだけど、中学生の時は数学と英語だけZ会をやってました。たぶんZ会を受講している人には僕みたいに授業スタイルが大嫌いだけど自分でどんどん学んでいけるタイプ、もっと言うと好きな分野についてはとことん突き詰めれるタイプが多いんだと思います。そして事実として東大生や京大生にはそういうタイプが多いです。もちろん偏差値は1つの指標でしかないけど、でも僕の知り合いには義務教育が生理的に嫌いだったという人たちが一定数います。

 

 

さっきも言ったように僕が行っていた小学校も中学校も至ってフツーの地方公立校。先生もみんな先生としての王道みたいな人生を歩んでいて、つまり北海道生まれ北海道育ちで教育大を出ている人ばっかり。確かに教職を目指して頑張ってきた熱意はすごいけど、レールからはみ出したことのない人ってはみ出し者に対する理解が薄い。のちに高校や大学で強烈なインパクトのある先生に出会うんだけど、やっぱりその方が圧倒的にいいです。

 

 

ただ誤解しないでほしいのは、決して僕は「母校」そのものを批判しているわけじゃないし、もっと言うと過去を否定しているわけでもないです。そうじゃなくて「日本の一般的な学校教育」を僕は好きじゃなかったということです。もっともこれって僕だけじゃなくて多くの人が思っていて、実際現実として近年教育改革が進んできています。素晴らしいと思う反面で遅すぎるぞとも思ってるんだけどね。僕らは自分たちが望んで投票とかして決めたわけでもないのに、大人たちによって勝手に「ゆとり世代」なんていう失礼なレッテルを貼られて迷惑している世代なんだけど、最近の少年少女がようやくその呪縛から解き放たれると聞いて嬉しく思っています。

 

だけどお役人の悪い癖で、制度改革をやるときに充分な事前検討だったり試験実施だったりをせず見切り発車することがよくあって、教育についても「とりあえずセンター試験やめます」と宣言してから「どうしましょう」と考え始めているんだけど。やれやれ。

 

 

最後に結論っぽくして終わります。

 

・義務教育ではきめ細かいオプションを用意するべき。先生に説明してもらえば分かる人、自分で教科書を読めば分かる人、その両方をすれば分かる人、いろいろな学習スタイルがあるのだからそれに対応するべき。対応できなくても容認するべき。

 

・小学校の先生は英語なんて教えなくていいからカウンセリングとかをもっと勉強するべき。人間その気になればいつでも勉強できるし、英語なんてあとから何とでもなるんだから、人格の基礎形成とかに焦点をあてるべき。

 

  

あまり言わないけど、僕がここイギリスに留学しようと思った理由の一つが「ヨーロッパの教育はどういう感じなんだろう、もし中学生の時に留学していたらどんな人生になっていたかな」でした。留学期間も残り少なくなってきたことだし、ボチボチこういう記事をほかにも書いていこうと思っています。