ヤマダ=イスキーの旅日記

9月下旬から2年間世界一周します。復学したら就職までの1年半に英検一級/気象予報士試験/漢検準一級/中検3級/仏検3級を取ります。あと中古バイクを購入して日本中の山に登りまくります。

中学校が嫌いだった話

みなさんゴールデンウィークはどうだったでしょうか。

 

ふと「ゴールデン」じゃなくて「ゴールド」が文法的に正しいのでは?と思って調べてみたけど、ゴールド(形容詞)は「金Auのような」という意味なのに対してゴールデンは「金色の、金のように貴重な」という意味だったので、やはり「ゴールデンウィーク」が正しいようですね。

 

 

さて、今回の題は「日本の中学校が嫌いだった」ということ。

 

小学生のときは楽しかった。あんまり考え込むこととかなくて、今日の給食はなんだろうとか、さっさと放課後になって野球したいなとか、頭の中はそういうことばっかりだった。後述するけど授業スタイルも僕に合っていて、どのクラスにも積極的に参加していた気がする。今考えるとほぼ全科目を一人の先生が教えるのってすごく大変だなとは思うけど、でもそれだけ融通も利いていたんだろう。正直授業で何をやっていたのかについてはよく覚えていない、、、

 

ところが中学校に入ってから授業が一気につまらなくなった。実はこの頃から視力が落ちてきていて黒板の文字とかがあまり見えていなかったんだけど、授業放棄してたから黒板を見る必要があまりなくてそんなに不便していなかった。

 

何がつまらなかったのかというと、ずばり「教科書に書いてあることをそのまま教える」こと。そんなの自分で教科書読めば分かるんだから説明いらないよ、そのくらいそのままで理解できるんだから言い換えする必要ないよ、同じこと何度も説明されるとくどいからさっさと問題解かせてよ、などなど思っていた。

 

もちろんクラスにはいろいろな学力というか学習スタイルの人がいるから、全員が分かるような授業をするのが先生の任務だというのは当時から分かっていた。でもそれだったら「分かった人は勝手に次に進んでいいよ」というオプションも用意するべきじゃないか? そもそも30人以上いるクラスを10人ずつとかに分けたほうが進度設定がきめ細かくできるんじゃないか? と思うのは当然といえば当然だろう。でも先生としても全体のペースを一緒にしておいたほうがやりやすいし、クラスの規模を変えるなんてなかなかできない。だからしょうがないかなとも思っていた。

 

 

画一的な授業進度に加えてもう一つ、授業スタイルも嫌いだった。日本の学校教育を特徴づける「先生が一方的に話して、生徒はずっと座って聞いているだけ」というのはADHDの僕じゃなくても耐えられないでしょ。少なくとも全然楽しくないでしょ。

 

小学生の時はなんだかんだ授業中に「ちょっとみんなで黒板に書き出してみよう」とか「時間余ったから行きたい人はソーっとトイレ行ってきていいよ」とかで立ち歩くこともたびたびあって、あとは中休みという素晴らしい時間も設けられていたから良かった。小学生っていうのは多かれ少なかれ「走り回りたい欲求」というのをみんな持っていて、とりあえず走っておけば気が済むものだった。

 

あとは授業中に「これ分かる人―」という質問がたびたびあって、僕はけっこう分かることが多かったから発言する回数も多かった。グループに分かれて話し合ってから意見交換するというスタイルも好きだった。「どうしてそう思ったの?」という質問とかが大好物だった。

 

が、中学生となるとそうはいかない。授業中に立ち歩いてたらなんと言われるか分かったものじゃないし、制服ということもあって休み時間もそこまでハードな運動はできない。グループで話し合いをすることもないではなかったが珍しかったし、授業中に先生が意見だったりを求めることも多くはなかった。

 

 

ちなみに成績については問題なかった。

 

まあ成績がいいなら問題ないじゃんというのもある種の問題なんだけど、既に述べたように「教科書を読めば分かる」という場合は本当に分かっていた。授業は確かにつまらなかったけど、まあ寝てたりボーっとしていれば時間が過ぎていったし、よっぽど声のデカい先生じゃない限り問題集とかはやっていられたし本もよく読んでた(没収されたこともある)。あとは教室から抜け出しても行ける場所なんてないし、一回そういうことをしたら次からできなくなりそうだし、刹那的な逃避にはデメリットしかないと思っていたからフツーに座っていた。でも本音は30分が限界だった。

 

あと僕は塾には行っていなかった。それ以降も行くことはなかったんだけど、中学生の時は数学と英語だけZ会をやっていた。それも中高一貫コースで1年先取りしていた。たぶんZ会を受講している人には僕みたいに授業スタイルが大嫌いだけど自分でどんどん学んでいけるタイプ、それどころか好きな分野についてはとことん突き詰めれるタイプが多いんだと思う。そして事実として、東大生や京大生にはそういうタイプが多い。もちろん偏差値は1つの指標でしかないけど、でも僕の知り合いには義務教育が生理的に嫌いだったという人たちが一定数いる。

 

 

ここまでの文章でだいだい想像はついてると思うけど、僕が行っていた小学校も中学校も至ってフツーの地方公立校。先生もみんな先生としての王道みたいな人生を歩んでいて、つまり北海道生まれ北海道育ちで教育大を出ている人ばっかり。確かに教職を目指して頑張ってきた熱意はすごいけど、レールからはみ出したことのない人ってはみ出し者に対する理解が薄い。のちに高校や大学で強烈なインパクトのある先生に出会うんだけど、やっぱりその方がいい。

 

 

ただ誤解しないでほしいのは、決して僕は「母校」そのものを批判しているわけじゃないし、もっと言うと過去を否定しているわけでもない。そうではなく「日本の一般的な学校教育」を僕は好きじゃなかったと言っている。もっともこれって僕だけじゃなくて多くの人が思っていて、実際現実として近年教育改革が進んできている。素晴らしいと思う反面で遅すぎるぞとも思ってるんだけどね。僕らは自分達が望んで投票とかして決めたわけでもないのに、大人たちによって勝手に「ゆとり世代」なんていう失礼なレッテルを貼られて迷惑している世代なんだけど、最近の少年少女がようやくその呪縛から解き放たれると聞いて嬉しく思っている。

 

だけどお役人の悪い癖で、制度改革をやるときに充分な事前検討だったり試験実施だったりをせず見切り発車することがよくあって、教育についても「とりあえずセンター試験やめます」と宣言してから「どうしましょう」と考え始めているんだけど。

 

 

最後に結論っぽくして終わろうと思う。

・義務教育ではきめ細かいオプションを用意するべき。先生に説明してもらえば分かる人、自分で教科書を読めば分かる人、その両方をすれば分かる人、いろいろな学習スタイルがあるのだからそれに対応するべき。対応できなくても容認するべき。

・小学校の先生は英語なんて教えなくていいから心理学とかをもっと勉強するべき。人間その気になればいつでも勉強できるし、英語なんてあとから何とでもなるんだから、人格の基礎形成とかに焦点をあてるべき。

 

 

 

あまり言わないけど、僕がここイギリスに留学しようと思った理由の一つが「ヨーロッパの教育はどういう感じなんだろう、もし中学生の時に留学していたらどんな人生になっていたかな」であった。留学期間も残り少なくなってきたことだし、ボチボチこういう記事をほかにも書いていこうと思っている。